5-1 神武天皇の船出

竜宮城から来た豊玉姫は実はワニだった。まだ屋根を葺き終えていない産屋で「ウガヤフキアエズ命(鵜葺草葺不合命)」を産んだ。その子は豊玉姫の妹の玉依姫と結婚し4人の子どもを設けた。一番下の子が将来神武天皇になる「ワカミケヌ命」である。初代天皇はワニの孫なの?という疑問がわくが、因幡の白兎の時に述べたようにワニは海洋系の和邇一族だったと理解されている。

高千穂の宮でワカミケヌ命は一番上の兄イツセ命(五瀬命)と一緒に
「大おばあさまの約束の地、出雲に行くぞ!」
と決心して日向を出発した。
宮崎神宮の祭神はウガヤフキアエズ夫妻と神武天皇である。神武兄弟はここから出立したと私は思っていた。しかし宮崎神宮は明治天皇による「神武創業の始め」の大号令で脚光を浴び、神武天皇の最初の宮として特別待遇になり国幣中社、官幣大社へと破格の大出世をしたごく新しい神社であることを知った。もともと日向の国の中心はもっと北の都農神社のある延岡の方にあった。

高千穂から出てきたワカミケヌ兄弟は美々津の港から船出する。船出の前に彼らは日向一宮の都農(つの)神社に詣でる。都農神社の祭神は大国主神である。天照大神の子孫がなぜ大国主神にご挨拶するのかわからないが、この神社が日向では一番古いからだと地元の方が教えてくれた。
「都農神社の大国主神は日本で一番の神さまだから!」
天照大神の子孫といえどもまだまだ大国主神には及ばなかったのだろう。

神武天皇は都農神社お参りして美々津(ミミツ)の立磐神社から船出した。立磐神社には「日本海軍発祥の地」と書かれた大きな石碑があった。地元のおじさんが
「神武天皇の船はあの岩の向こうを回って出て行ったんだ!」
と沖の岩を指して、見てきたような説明をしてくれた。

「約束の地」は天照大神が大国主神から譲られた出雲の国(豊葦原の中原)である。そこに行くためには関門海峡を通って日本海に出なければならない。
美々津の港からまず宇沙(宇佐)をめざした。豊前の宇佐神宮のことである。辺鄙な田舎に住んでいた兄弟が、当時すでに巨大国家になっていた出雲に向うには、仲間が必要だった。宇沙で情報を得たイツセとワカミケヌの兄弟は、日本海に出るために関門海峡を抜けて、北九州の岡田の宮に向かった。

しかし古事記の記事では岡田の宮から再び関門海峡をもどって瀬戸内海にはいり、安芸、吉備に向かっている。
関門海峡は狭くて流れも速い。今でも航海の難所である。そこを古代の船で行き来するのはあまりにも危険が伴う。なぜ関門海峡を行きつ戻りつしたのだろうか。

田舎者の神武軍は玄界灘に面した岡田の宮で
「今の時代、国の中心は出雲から大和に移っている」
という新情報を得た。
日本海沿いに出雲に行くために関門海峡を越えたが、目的地を大和に変えて再び海峡を戻って瀬戸内海をへて浪速に向かった。ワカミケヌ一行が岡田の宮に行ったことへの私の説明である。