対馬和多都美島分寺


朝鮮半島からの文物の通り道として栄えた島で古くから人々は住んでいた。律令制度が敷かれた時には対馬国として西海道に属した。

国府 島分寺
国府は下県(しもあがた)郡に置かれたという。しかしその場所は正確には分かっていない。しかし明治の時代まで厳原町には対馬府中藩がおかれ、宗氏が対馬守であった。金石城から旧厳原町役場あたりに国府があったと想像される。2012年私が訪れた時には金石城の発掘は終わっていたが、その下に埋もれているであろう国衙、島分寺の跡は見つかっていなかった。

最初は対馬国であったが、国分寺が建立された8世紀には対馬嶋と表記されており、国分寺ではなく「嶋分寺」だったと言われている。現在国分寺は存在するが、古い嶋分寺は金石城の下に埋まっている。

対馬島分寺(対馬国分寺)

大國魂神社
国府、国分寺があったことは分かっているが総社についての記述はない。東京府中には大國魂神社があり、総社とされている。他にも大國魂神社が総社になっている旧国がある。私は対馬にも大國魂神社があることを見つけ、これが総社ではないかと思っているのだが、その神社の場所は対馬の一番北の豊浦漁港にある。国府からこんなに離れたところにある神社が国司がいつも参る神社であるはずはない。なのでここに乗せたが、対馬国総社ではないだろう。一応写真を入れておきます。

対馬一宮? 和多都美神社
長い対馬島の中ほどの浅茅湾の近くに「わたつみ神社」がある。厳原から歩くのはきついのでレンタカーを借りた。ナビで調べると和多都美神社に連れていかれた。海の中に鳥居が並んでいるすばらし神社であり感動していたら観光バスが2台やって来て大勢が参拝?している。観光バスの運転手さんに聞くと韓国からの客だそうだ。海の中にある鳥居が釜山に向かっているのだという。

対馬一宮 海神神社
大勢の人がいるが、和多都美神社のどこにも対馬一宮とは書いてなかった。運転手に聞くと海神神社が近くにあるという。山の上なので観光バスは入れないとのこと。海神神社が山の上にあるというのはちょっと解せないが、こちらが対馬一宮と書いてあるのでだから間違いないだろう。

アマテル神社 梅林寺
百済の聖明王から仏像と経典が初めて日本に伝えられたのが538年であるが、その前に対馬の船越でいったん建物を作って仏像を安置してからヤマト向かった。ということで初めて作られた寺は対馬の梅林寺ということになっている。文化交流にとって対馬は大変なことだったのだろう。ついでに言うと梅林寺のすぐ下にアマテル神社がある。天照大神を祀る神社という。なにか縁があるのか?

西山寺
40年も前、私はYH選定委員でYH西山寺にきたことがある。2012年、まだYHである西山寺に泊まった。この寺は朝鮮通信使の宿舎を務めた寺であった。40年前にも聞いたのだろうがすっかり忘れていた。ともかくすばらしい宿坊になっていた。
2012年の訪問の目的は対馬の地層観察、宮本常一先生の足跡訪ね、一宮巡りと盛りだくさんだった。西山寺と地層の写真をちょっとだけ入れておく。比田勝港で宮本先生と話をしたことがあるという人に出会ったことも記しておく。