駿府(すんぷ)は駿河国府の略である。国府が県庁所在地にあるのは珍しい。律令時代以後も近世まで長く駿府又は府中と言われ、徳川政権初期は日本国の実質的な首都であった。明治維新により新政府に恭順の意を示すため駿府の象徴であった賤機(しずはた)山にちなみんで由緒ある駿河を静岡に改称したという。
駿河国国府
駿府城あたりに国府はあったが土地は改変されているので位置は確定されていない。発掘調査が行われているのは天守台で、国府跡はさらにその下に隠れているはずだ。現在の国分寺の近くに国府跡の表示があった。周辺を歩き回り地元の人に聞いてみても誰も知らなかった。
2023年に天守台の発掘現場を見に行った。駐車場の跡を掘り下げたら今川氏の館と慶長の天守台の石垣が出てきたそうだ。もしかするとその下に国府跡が見つかるかもと期待したが、今のところその気配はないようだ。発掘現場の写真を追加しておきます。
駿河国総社 神部神社
駿府城の近くに立派な神社がある。門の扁額には「當国総社富士新宮」と書いてある。中に入ってみると舞殿があり横長の大きな賽銭箱がある。よく見ると左右にそれぞれの神社の名前が書いてある。賽銭は一つでいいのか?? 拝殿も左右に二か所ある。向かって左側が富士新宮浅間神社とある。右側の表示は當国総社神部神社となっている。なんで二つの神社が一緒の社殿になっているのかわからない。敷地は広くていくらでも社殿は作れそうなのに。裏手の少彦名神社の近くから本殿を望むこともできるがそこへ登る石段も左右にひとつづつある。不思議なことだ。
総社内の神社
賎機山の末端には極彩色の多くの神社が集まっている。参道商店街をぬけるとまず大歳御祖神社、境内から浅間神社へ行くことは可能だが、私は正面鳥居に回った。八千戈神社わきから急な石段を昇った。
現在の国分寺、国分尼寺
総社の鳥居から少し行ったところに現在の国分寺がある。法灯を継いでいるというが、昔の国分寺の面影はまったくない。さらに長沼駅の先に国分尼寺の法灯を継いでいる菩提樹院がある。由比正雪の首塚があるという。周辺には涅槃像、五重塔があるが皆寺町から移動してきたものでお寺の団地のようだ。
国分寺跡 片山廃寺
国府からはかなり離れた場所に片山廃寺跡がある。ここに塔跡が出てきたので駿河国分寺跡の可能性が大きくなっている。東名高速道路の下に寺跡は広がっており、発掘もなされた。ここから登呂遺跡は近い。昔の人なら国府から馬や歩きで行くことはできたかな?
今回静岡駅前の駐輪場で電動自転車を借りて回った。相当に暑かったが足には負担はなかった。しかしスマホを使ってのレンタルには手間がかかった。年寄りにはスマホは難しい。以下は登呂遺跡。資料館はまたの機会に!