豊後国府は印鑰神社の付近だった

大分から久大本線で一つ目の駅が「古国府」(ふるごう)である。わざわざ古い国府とされているので新しい国府もどこかにあったはずだろう。駅舎は写真のように段丘崖の真下にある。古国府は段丘の下の川に近い場所だったので、のちに段丘の上に移ったのではなかろうか。その場所は岩屋石仏、元町石仏の周辺だとの意見もあるそうだ。現地を見ると確かにそう感じる。

豊後国府 総社
大国社という小さな神社が総社であったという。印鑰(いんにゃく)さんともいわれる神社である。印は国司の印、鑰は税を納める蔵の鍵である。これらを納めた神社が印鑰社で、国府のなかにあった。大国社が印鑰神社であることはこの付近に国府があったことを示している。

豊後国分寺
豊後国分寺は大分川から見上げるような河岸段丘の上にある。豊後国分駅は久大線の古国府駅の2つ先にある。駅脇に大分市歴史資料館(歴史博物館は宇佐市にある)があり、その周辺が豊後国分寺跡である。その一角に現在の国分寺もある。国分尼寺もこの辺りにあったらしいが発掘はされていない。豊後国分寺には最大の七重の塔があった。その模型が歴史館にあると聞いていたが、月曜日で休館だった。館のHPにあった写真を借用しました。


早速賀曽利さんから写真が届きました。そのうちの一枚を追加します。上の写真は資料館のHPの写真なので、しばらくは使わせてもらいます。