越中一宮は城端線の福野駅から5キロほど。砺波平野の真ん中にあります。福野駅から井波行のバスはあることはあるのですが、3時間に一本ぐらい。地元の人には役に立つが、よそ者には意味なし。しかたなく歩いていきました。帰りは時間が会うかと思ったが、1時間半待ち。雨の中歩いて駅まで戻ったところにバスが到着。またもや意味なし。
越中国一宮:高瀬神社のページ ☚ ここをクリックしてください。
越中一宮は城端線の福野駅から5キロほど。砺波平野の真ん中にあります。福野駅から井波行のバスはあることはあるのですが、3時間に一本ぐらい。地元の人には役に立つが、よそ者には意味なし。しかたなく歩いていきました。帰りは時間が会うかと思ったが、1時間半待ち。雨の中歩いて駅まで戻ったところにバスが到着。またもや意味なし。
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アサガヤさんから‥‥‥今年1月末、私も城端線乗りました! 丁度観光列車の「ベルモンタ」号に乗ることができた!‥‥‥
とコメントをもらいました。
高岡駅でこの列車を知って、乗りたいと思ったのですが土曜日:城端線、日曜日:氷見線の営業だけなので残念でした。この景色を眺めながら、おいしい氷見の魚料理を食べるというのはすばらしいですね。鉄道ファンなら絶対乗ってみる価値がある。
かの「ななつ星」「四季島」など豪華列車とは違い、料金は高岡ー城端580円+指定券520円。富山湾寿司セット2000円ですから庶民的。景色はおんなじ。
ところで、私は今回こんな列車に乗りました。城端線の写真はない! 井波から雨の中を歩いてきたので写真を撮る気分ではなかった。代わりの城端線福野駅そばの福野高校の旧校舎の写真を入れておきます。
越中国には一宮が4つもある。そのうち一つは立山山頂の雄山神社だが、そのほかは高岡市の周辺にある。私は雄山神社には何回も行っているので越中国一宮は完了というつもりだったが、何となく気分はすっきりしていなかった。飛騨一之宮に行ったついでに高山から富山、そして高岡に行った。
北陸新幹線ができたので旧北陸本線は「あいの風とやま鉄道」になった。JRではないので青春切符は使えない。北陸地方は青春切符で行き来はできなくなった。新幹線ができると地元はどんどん切り捨てられるな。
高岡にはまだ城端線と氷見線という盲腸線が残っている。城端は走って行ったことがあるが城端線には乗っていない。今回城端線、氷見線に乗ってきた。氷見線は越中国府という無人駅で降りた。偶然降りた駅だが、いい写真が撮れた。しかしそこから高岡に戻ったが、雨が降り始めて長かった。途中でドラえもんトラムに乗った。
徳澤園から上高地までおりて、みなと別れ平湯経由で飛騨高山に来た。JR線高山の次の駅、飛騨一之宮の水無神社に来たかったからだ。
そのあと富山駅前まで戻って、明日は高岡の越中一宮に行くつもりです。
駅前ホテルで暇なので『飛騨一之宮のページ』を作りました。青いところをクリックしてみて下さい。
今年も水道橋宝生能楽堂で行われた第7回「七葉会」に参加した。舞囃子は「船弁慶」、3月の矢来能楽堂で舞ったのとおなじ曲だ。(17年3月25日のブログ)矢来能楽堂はちょっと狭く長刀を振り回すのが窮屈だったようだが、今回は大きな舞台で十分にうごきまることができた。もうこの年では長足の進歩というわけにはいかないが、堂々とした謡と舞だった。私としては十分に満足した。
しかしビデオを撮影の方は、前回よりも会場が広いせいもあって私の機材ではちょっと暗くて画素が粗い。テレビ・パソコンで見る分にはいいのだが、そこから切り出して写真にするのは不十分。次回は新しい機材をそろえなけりゃと私は言うのだが、「パソコン見るだけだからもう買わなくていい」とのこと。新カメラ購入作戦失敗でまだしばらくこの機材を使うことにする。
台風5号は長寿命台風で昨日やっと低気圧になって、終息した。関東にはものすごい暑さをもたらしたが、それも一転して涼しい日になった。昨夜はエアコンの必要はなし。本日は山の日で休日だそうだ。子どもたちは夏休みなのでほとんど関係なし。小平の津田公民館で、関野吉晴さん主催の地球永住計画の子ども版が開かれていた。
午後1時からは恐竜のおはなし。友人の富田京一君を推薦したので私も子どもたちに交じって参加した。恐竜研究、広報の第一人者だけあって子どもたちはぐんぐんひきつけられている。私も昔は恐竜信奉者としていろいろ話をしたが、こんなに子供を引き付けることはできなかった。すばらしい。富田さんとは3年ほど前にエジプトの西部砂漠で恐竜発掘現場を訪ねた時に一緒させてもらった仲だ。
富田さんの人気を援助しているのは彼が育てているイグアナ、カメなど爬虫類だ。彼は自宅でこれらを育て観察しているという。本日はイグアナとカメを連れてきてくれた。私も何回か見知っている。彼にはなついていて呼ぶとすぐになついてくる。壁にぶつかって鼻血?を出したが、かれは絆創膏を張ってやるなど治療をしていた。こんなにやさしく爬虫類に接すればなついてくるだろう。ともかくすごい。圧倒された。一緒に参加したおじさん4人と国分寺駅ビルで昼間からビール。
東京は37℃だった。体は大丈夫と豪語していても、体温より高くなると私もさうがに不調になる。外出を控えようと思ったが、孫が「国立科学博物館で深海展をやっているよというので、お供することにした。前は無理やり連れて行ったが、いまはだいぶ進歩して案内してくれるようになった。
夏休みなのでものすごい人出。ほとんど見ることはできなかったので、通常展示の方に移動して、ステゴサウルスに挨拶してきた。3年前にこの孫を連れてきた時には、巨大な恐竜化石をみて泣き出したものだが、いまはトリケラはデッカイなあなどと言えるようになった。「じいちゃんの好きなのはステゴサウルスだよね!」だいぶわかるようになったので、かき氷をごちそうしてやろうと思ったが、そこも大変な行列。 そとにでて公園のレストランに入ってお昼を食べた。ここも子どもたちでほぼ満員。親ごさんたちは暑い中でも子どもたちにいい体験をさせようと頑張っている。一生懸命子育をしているじいばあ、父母が大勢いる。私も出遅れないで良かった。それにしても暑かった!
土曜日、若者で混雑している新宿のライオンで、30年前ごろ一緒した仲間が集まった。同じ屋根の下で過ごした同窓の30人が集まった。年齢は私はまだ若い方で、先日このブログで紹介したアホノミクスの浜先生の師匠である武藤先生もお元気で参加された。
近況報告はみんさん病気から生き延びた話ばかり。お仲間がたくさんいて心強い。不参加の皆さんからの便りもみな手術後なので不参加などなど。親しかった何人かは便りもない。ちょっと心配。女性陣は爺さんと違ってみなさん元気。鹿児島の鹿屋からも参加した女性は昭和一桁生まれ。一人で来たよ!とかくしゃくたるもの。女性は強い!
写真は後程。
私は狛犬愛好家である。インターネットには様々な狛犬があり、同好の志がおられるらしい。私はそこらで出会った狛犬を楽しむだけだが、これがけっこうおもしろい。最近廻った出雲系の神社には逆立している狛犬がけっこう多いことが気になっていた。きっと中央政権に歯向かっていた象徴ではないかと思って感慨にふけっていた。ところが丹波一宮の出雲大神宮の写真を整理していたところ、下記のような立札を見つけた。逆立とはちょっと違うかもしれないが、兼好さんの皮肉屋精神がよく表れている。私の感慨も、「考えすぎだよ!」ということかもしれない。立札を読んで、兼好さんに皮肉られたかもしれないが、まだ納得はしていない。人間のやったことなので、逆立狛犬には何か理由はあるはずだ。
徒然草第36段 出雲大神宮(亀岡)の立札
丹波に出雲といふ所あり。大社を移して、めでたく造れり。しだのなにがしとかや 知る所なれば、秋のころ、聖海上人、そのほかも、人あまたさそひて、「いざたまへ、出雲拝みに。かいもちひ召させん」とて、具しもて行きたるに、おのおの拝みて、ゆゆしく信おこしたり。御前なる獅子・狛犬(こまいぬ)、背きて、後さまに立ちたりければ、上人いみじく感じて、「あなめでたや。この獅子の立ちやう、いとめづらし。深き故あらん」と涙ぐみて、「いかに殿ばら、殊勝のことは御覧じとがめずや。むげなり」と言へば、おのおの怪しみて、「まことに他に異なりけり。都のつとに語らん」など言ふに、上人なほ床しがりて、おとなしく物知りぬべき顔したる神官を呼びて、「この御社の獅子の立てられやう、定めて習ひあることにはらん。ちと承らばや。」と言はれければ、「その事に候。さがなき童どものつかまつける、奇怪に候ふことなり。」とて、さし寄りて、据ゑなほして去にければ、上人の感涙いたづらになりにけり。
吉田兼好:徒然草・第236段 (出雲大神宮にて 2012.11)
我が家はここ数年四国88箇所のお遍路をしている。まだ愛媛県の松山の第51番石手寺あたりでウロウロしている。なんとか88番までたどり着きたくて、この先の情報を収集している。83番の一宮寺の情報を見ていたら、隣に讃岐一宮の田村神社があった。一宮巡りはほぼ終わっているので、前にも来たことはあったが、その資料の中に上のような写真があった。
姉と弟が犬、猿をお供にして鬼ヶ島に進軍している姿である。桃太郎の「鬼が島」遠征の話である。私は桃太郎の鬼退治の話は吉備(岡山)が舞台であると思っていた。しかし鬼ヶ島は瀬戸内海で、出陣したのは吉備でも讃岐でもいいのだろう。ここ田村神社でも、桃太郎は香川から出撃したことになっている。
香川バージョンの特徴は桃太郎の後見役として姉が付いていることだ。姉の方が指導的役割だということはこの銅像を見てもよくわかる。この姉は「ヤマトトトヒモモソヒメ」と書かれている。どこかで聞いたような! そう!大和の三輪山の麓にある「箸墓」に葬られている姫様だ。通称モモソ姫だ。あれ!モモタロウにモモソヒメ、なかなかいい語呂合わせだ。
田村神社におられた姉弟、モモタロウとモモソ姫が鬼が島に遠征したのだ。モモソ姫は大和では箸墓に葬られた偉大な姫、近年は卑弥呼とほぼ確定している。ということは、鬼退治をしたのはヒミコとモモタロウの姉弟だった。魏志倭人伝には卑弥呼には弟がいて、姉の政治を補佐したと書いてある。その弟というのはモモタロウだったのだ。
なんか大発見をしたような気になっているのだが、・・・・・みなさんどう思いますか???ご意見をお聞かせいただきたい!
毎日平々凡々の生活。時間が過ぎるのが早い。若い友人が「なにごともなく、毎日を過ごすのが大事なんですよね!」と悟ったようなメールをくれた。私など「今日は・・・をやらなきゃ。今週は・・・なんと何がある」などという脅迫されるような生活を送っていたので、いまの「何事もない幸せ!」というのを感じられるのだが、この若者はどういう心境でこんなことを言ってきたのだろうか。きっと何事か心配を抱えているのだろうな、という心配をしてしまう。
東京は梅雨明け宣言がなされたあとは天気が悪い。毎年8月1日前後は安定した天気が続くのだが、今年は変だ。夕方からは少し雨が降り出した。なんとなく「雨に唄えば!」の心境になり、小雨の中、我がランニングコースの石神井川遊歩道を滝野川の大仏さんまで散歩してきた。大仏さんに「家内安全、国家安康」をお願いしてきた。
「国家安康」などというと徳川家康が激怒するかもしれない。昨年京都の方広寺の鐘楼で「国家安康」の文字を見てきたので、そんなこと思い出した。家康はなんでそんなことで怒ったのか?、たぶん言いがかりだろうが、それで豊臣家は滅びることになった。国家安康と祈れば、現在の怪しい政権は滅びるのではないかと思って!
大仏さんに祈ったら突然雨が激しくなった。我が家まで3キロ、ほぼ30分。びっしょり濡れたが、気持ちは良かった。すぐに風呂場でシャワーを浴びて、運動靴も洗った。悪い「気」を洗い流してくれた大雨だった。まあすばらしい8月の幕開けかもしれないな!
7月2日に野川が枯れ川になっていると書いた。その後どうなっているかを確かめなかったが、24日に見たときには同じような枯れ川だった。昨日夜埼玉、多摩地域にかなりの雨が降ったらしい。本日昼過ぎに野川橋に行ってみたら、写真のように滔々と水が流れていた。
しかし気象庁のホームページを見たが野川上流で雨が降った形跡はない。府中の雨量は0なので、直接の雨で川の水が増えたわけではなさそうだ。きっとどこか別のところから引いているのだろう。今調べる方法はないので、とりあえず本日水が復活したと記録しておこう。地元のおじさんおばさんも水が戻ってきてよかったと喜んでいた。
東京の取水制限は20%がまだ続きそうだ。もうすこしまんべんなく降ってほしいものだ。秋田雄物川は氾濫して大変なようだ。九州、秋田の豪雨、東京の渇水、どうなっているんだろう。
追加:東京都の河川管理課の野川担当に電話してみた。暇人だな!返答は野川は自然河川なので雨量に応じて水量が変わるそうだ。ということは昨日から今日にかけて降った少量の水でも武蔵野台地全体ではこれだけ水量になるということだ。
清瀬高校の第一回生は今年で還暦。それを機会に同窓会が渋谷で開かれた。我がクラスのSUGI本さんが奔走して大勢を集めてくれた。今回はグアム、カンボジア、アメリカなど海外組もこの同窓会のために集まった。日本国中あちこちからも集まってきた。SUGI本さんは在校生のころから行動派だったが、その気質は変わらずすごいパワーを発揮してくれた。えらい。
卒業以来40年ぶりという連中もしばらく話をしていたら思い出すことができた。小僧みたいだった連中が立派な大人になっている。と思ったがもう還暦、定年の年齢とは。ちょっと驚く。まあ自分の年齢を考えれば当然なのだが。そういえば私はこの年齢のときにはもうとっくに退職してたっけ。もう退職後15年もたつのだ。忘れてた。
落語家の世之介も来ていた。このところテレビでは見かけないがしっかり活躍しているようだ。ちょっとだけ話をしてくれたが、宴会中でも大勢の人を引き付ける話芸はすばらしい。さすがプロは偉い。私のあいさつはみなの話声の中に消えていた。
楽しい夕餉であった。と言っても私はウーロン茶を一杯飲んだだけ。皆さんとの話をするのが忙しくて食べる暇がなかった。もうごちそうに目を輝かせる年代ではなくなっている。それはちょっと寂しいが、本日は皆さんとの会話で胸いっぱい、腹いっぱいになった。二次会にも誘われたが、余韻を残して楽しさのうちに別れるのがいい。ということで9時半には家に戻った。
写真は後程HARI替君からもらって入れます。