ブラリバークラブの散策会の予定だったが、向後さんが講演をなさるというので、皆さんを誘って聴きに行った。ブラリバーメンバーは13人、他には地平線仲間のMIYAMOTO,KASORI,OKAMURA,NOJOさんら、北海道からMIZUKOSHIさん,沖縄からはBABAさん,さる国の大使さん・・など高名な方々が来ておられた。 演題は「冒険の心、そして人生」。奥さまのタイムキーパーで、いつもとは違ってほぼかっきり時間で内容の濃い話を聴かせていただいた。「聞く」ではなく「聴く」にふさわしい内容だった。ブラリバメンバーは世界的なマングローブの専門家だということは知っていたが、こんなすごい方だったということを知って驚いたようだ。こんなすごい人と私が親しいということを知って、みなさん少しは私を見直してくれたかな。
昔から「虎の威を借りる」のが私の特技だった。勝手に親しくさせていただいて、KOGOさんごめんなさい。13人のみなさんには「解散」というのも忘れてしまった。なんとなくばらばらに帰ることになって、すみませんでした。 いい時間を過ごした。終了後はもう暗くなっていた。お茶大のイチョウの並木の間に金星がくっきり姿を見せていた。きれいな写真も撮れて、幸せな日だった。
都内峠越え 馬込の近く
大崎高校の前に戻って大原通りをさらに進む。緩やかに曲がって通りは国道一号線に出た。そこは中延駅。都営線と東急線の両方の駅があった。ここで電車と思ったが、まだ1万3千歩しか歩いていない。国道を馬込まで歩くことにした。ほぼ1キロ、15分だ。
ところが国道一号線は立合川を埋め立てた立合道を越えたところから上り坂になっている。日本橋から13キロの表示柱のあたりで最高点になり、後は馬込に向かって緩やかに下っている。
これぞ、国道1号線の何番目かの峠だ。しかしその近くの方がもっとはっきりした峠になっているだろうと考えて、すこし歩いてみると朋優学園の先で、見事な峠に突き当たった。これはすばらしい。朋優峠と命名する。
午後3時頃で馬込側から日が当たっている。坂は西側に下っている。近くに富士見小学校があったので、もしかするとこの坂から富士山が見えたかもしれない。立会川から登ってくると正面に富士山、という風景を思い浮かべる。東京の百峠の人るにはなるだろう。
近くにはいい上り坂がたくさんある。でも登りきったところが台地になっているのでは峠にならない。逆に坂を下がってくるとすぐに反対側の上り坂に出る場所がある。これを「逆峠」と名付けようかと思っている
満足して、馬込に下る。馬込駅は国道一号線と環七道りが交差する場所にある。国道が上を通るので、駅は陸橋の下から入る。周りには人家も商店もなく、お茶する場所ははない。残念。都営線にのって蔵前にいく。本日田口会の忘年会。都営地下鉄線ばかりだったので交通費はかからない。年寄りの道楽として、都内の峠道探しはなかなかいい。
戸越銀座は谷間だった!
戸越銀座という駅で降りた。国道1号線(第二京浜)の下を通る都営地下鉄浅草線の駅だ。改札を出て階段を上がると広い国道に出るが、それに直交して戸越銀座が伸びている。この辺りは小池都知事が推奨している電柱がない道路だ。電線バリバリの道に慣れた身には、ちょっとすっきりしすぎの感じだ。昔は荏原区だったのに品川区に乗っ取られた
というジイサンに出会った。
雨が降ると水浸しになる道路だったと言う。確かに両側は上り坂になっており、戸越銀座通りが昔は谷間だったことが分かる。ちょうど地質のボーリング工事をやっていたので1時間ほど眺めていた。鉄パイプを10mつないで土を採集している。私も昔は簡易ボーリングをやっていたことがあるが、本格的な仕事はすばらしい。10mもの地下の土を30分ほどで引き揚げてくる。その資料を見ると10mでけっこう硬いシルト層になるようだ。戸越銀座通りは武蔵野台地に刻まれた谷を埋め立てたものだから、ヘドロの層はそれほど厚くないので、10mほどの杭を打てば商店の土台になるようだ。もちろん高層ビルはこんな土台ではムリだろうが。
通りにミシンを並べた店があった。いまどきミシンを修理してくれる店は少ない。我が家の古いミシンを引き取ってもらおうかな。その店の横の道を上ってみる。途中に「八幡坂」と書いてあった。坂の上に戸越八幡宮があった。由緒正しい感じの宮だ。そこに「江戸を越え・・・」という古歌が書いてあった。戸越しと言うのは江戸越から出た名前だそうだ。
八幡宮の前の「宮前」商店街を抜けて、「文書の杜」「戸越公園」を見る。三井家、細川家の屋敷跡だそうだ。昔の殿さまや豪商は江戸のいい場所を占領していたんだな。
公園を抜けると大原通り。
大崎高校が空中に浮かんでいる。道路を通すためにコンクリートで敷地を造って盛り上げたようだ。歩道トンネルだけが完成しているので通ってみたが、大井町線をくぐったり大変な工事がなされている。補助何号線とかだが、我が家付近は何年たっても計画だけ。ここはオリンピック用地に関連しているようで、かなり工事は進んでいる。
しかし工事とは関係もなさそうなおじさんが、「小池知事になって工事が止まっているんだよ」と心配していた。小池さんの影響は大変なものだなあ。
筑波山がくっきり
ハイビスカス 越冬準備
山岳会のOB総会
学生時代は山岳部で活動していた。年間100日山行が目標だった。3年生まではほぼ目標達成だったが、4年生になった時には卒業論文の調査で沖永良部島に2ヶ月ほど滞在していたので、海行日数のほうが山行日数より多くなった。
その山岳部は東京都立大学山岳部だったがOB会への出席者は半数近くが首都大学山岳部員とOBだった。我々年寄りは都立大学山岳部~!などと部歌を歌っているが、若者からすれば、それはどこの大学?? ってことになる。彼らにとっては都立大学の引継ぎではなく首都大学東京が自分らのアイデンティティだろう。今更何を言っているの?? という感じ。
会長の提案で、英語表記は変わっていないので
Tokyo Metropolitan University Alpine club = TMUAC
で行こうということになった。年寄りOB は了解するしかない。さすがの会長と、お褒めの言葉が出ていた。
昔は1学年に2,3人しか部員はいなかったが、いまは20数人いるそうだ。喜んでいいのか、どうも驚くことだが、時代に合わせた活動があるのだろう。人が多いことは喜ばしいことだろう。地理学コースの部員が多いそうだが、ブラタモリの影響なのだろうか。
あずさは運休!新幹線で戻った
松本は大雪❗
松本で舞囃子
昨日、大きな地震があり、津波もおこったという一大事にも関わらず、我らは松本にいて、優雅に松本の能楽の会に参加しています。もちろん奥さんだけで私はいつものようにビデオ係です。今回は能楽堂ではなく、旅館の舞台を借りての会ですが、70人もの人があつまる大盛況でした。
松本はお能はあまり盛んではないようで、能楽堂もなく指導の方もほとんどおられないのだそうだ。そこへ澤風会の先生が乗り込んで、能楽の風を吹き込みたいそうだ。昨年は少人数だったが、今年は倍増する感じだった。なかなか素晴らしい。どの世界でも開拓者はエライ。我が奥さまもほんのちょっとだけど貢献しているかな!
今回の出し物は「羽衣」、短い練習期間だったが、なかなかうまく舞えたようだ。でも照明が悪いので、カメラマンとしてはちょっと不満足だった。
松本へ向かっています。
我が家の暖房事情
明日あたりから寒波がやって来るそうだ。そろそろ寒さ準備をはじめなければいけない。例年はまず車のスタッドレスタイヤの交換をしていた。数年前23日の祝日に戸隠高原にいき、雪に閉じ込められた経験があるので、11月連休はスタッドレスの交換日にしていた。しかし4月に車をなくしたので、その仕事はなくなった。
もう一つは灯油の備蓄。一昨年から車いすを使って18リットルを2本、ガソリンスタンドで買ってくる。昨年の今頃は1400円ぐらいしたが、今年は1170円。だいぶ安い。原油安の影響なのだろうが、我が家には関係ないと思ていたが、ここで関係が出てきた。国際情勢を肌で感じる瞬間だった。
我が家には一応エアコンはあるのだが、これは冷房に使うだけで暖房に使ったことはない。なぜなら電気料金は高いし、環境に悪いからだ。温めるだけだったら、石油を燃やすのが一番効率はいい。いったん電気に変えて、それを運んできてヒーターを使って暖ためるには何段階でエネルギーロスが出る。それを考えたら単純に燃やすのが一番効率はいい。本当はまきストーブが効率も、環境にもいいのだが、残念ながら我が家では無理だ。
ローカルに行動しよう!七五三!
我が家には四人の孫がいるが、それぞれ七五三をやったが、最後の七歳の七五三で地元の天祖神社に行ってきた。孫の衣装のうち、かんざしなど道具類はおばあちゃんの七五三の時に使ったもので、親子三代に伝わった。次はだれに伝えるか、私たちはもう見ることはできないだろうが、こんな伝統は続けていきたいものだ。 続きを読む
久しぶりサッカー見学
今年は正月に一回サッカーの試合に出ただけで、あとは全部欠席だった。試合のメイクとブログ更新はやっていたので、いつどこでやるかはわかっていた。最近の試合のメインは私よりも15年ほど後輩がマッチメイクしてくれるエンジェルリーグに移った。当初からのオールドメンバーはだんだん遠ざかってきたので、オーバー60歳のリーグに11人が集まらなくなってきた。
そろそろ私たち年代は引いていかなければいけないなあ。本日はそんなことを伝えるつもりで巣鴨のグランドに出かけた。まだYAMA,SAWA,IKE の三君は頑張ってくれているが、そのあとが5,6年隙間が空いている。60歳前後の連中でもう十分に頑張ってくれている。余計なことを言わなくても、もうすっかり世代交代が終わっていた。若手(60歳ぐらいだが)のみなさんありがとう。・・・でももう一度芝生の上を走り回って見たいなあ。