安房国の国府、国分寺、総社

安房の国のルーツは四国阿波である。麻を栽培していた阿波の忌部氏は黒潮に乗って房総半島南端の布良(めら)の浜に上陸し開拓を進めた。この地を安房国とした。安房の一宮は布良の近くにあるが、国府は内房の館山にあったらしい。国衙は発見されていないが総社と国分寺は見つかっている。

館山
私の最も尊敬する環境学者の山岡さんの転居先は城山の下にあった。晩年は山岡蟻人の名で俳人としても著作をものした。しばしば訪れていたので館山の地は懐かしい。今回もまず城山下の博物館によって資料収集をして国分寺に向かった。今回は東京駅から高速バスで海を渡ってやってきた。

安房国 国分寺
館山駅から128号線を3キロほど行った道路わきに国分寺がある。裏手には内房線の線路がある。この地域は国分と呼ばれ隣に諏訪社がある。国分尼寺は推定場所もわからない。南房総市にあまんぼう(尼坊)という地名があるそうだが、今回は場所を特定することはできなかった。歩き聞きまわったが手掛かりはなし。残念!

安房国総社 鶴谷八幡宮                                                                                             国分寺はちょっとした高台にある。萱野地区から下を見ると広い草原が見える。国分寺ができたころは入江だったがその後地震で隆起し陸地になったが長い間は湿地帯だったのだろう。現在バイパスができておりそこをめざして歩いていく。鶴谷八幡宮は昔の砂丘の上に作られた大きな社である。入り口の大鳥居の脇に「安房国総社」と書いてある。境内には安房国一宮の安房神社の遥拝所がある。こんな立派な遥拝社は始めて見た。安房神社は天津系、ここは八幡さま。天津系の方がちょっと格上なのかもしれない。

賀曽利さんの知見
今回の投稿を見て直ちに賀曽利さんから、南房総市の府中に行かなかったの?? とのメールをもらいました。賀曽利さんはバイク、私はトボトボ。回れる範囲が各段に違います。途中までは行ったんだけど! 安房国府、安房国分尼寺、安房元総社と言われる場所の地図と賀曽利さんの写真を追加しておきます。私の歩いたコースも!