下野 国府 惣社 国分寺 国分尼寺 薬師寺

下野(しもつけ)国は大和の政権の最北端にあり上野(こうずけ)とともに大国であった。伴善男や菅原道真もここで勤めていたし、道鏡が晩年過ごしたのも下野であった。大国にふさわしい国府があったこともわかっている。また惣社は大神神社で、国分寺、国分尼寺も発掘され多くの遺構遺跡は立派な資料館で保存されている。
下野国が繫栄したのは東山道の要衝であったことだ。松尾芭蕉は昔の「歌枕」の地を訪ねる「奥の細道」の旅をした。江戸を発って最初の目的地は下野国の「けぶり立つ室の八嶋」だった。室の八嶋は惣社である大神神社境内にある。私はもう30年も前に奥の細道走り旅をした。芭蕉は3日かけて到着したが私は1日で小山、翌朝早くに室の八嶋に到着した後日光まで走った。忍者芭蕉に勝った!その後も大神(大三輪)神社巡りで数回この地を訪れている。
下野国庁跡
今回は池袋から小金井まで乗り換えなしでやってきた。レンタサイクルで国府、国分寺などワンセットプラス薬師寺跡まで走った。薬師寺跡でとてつもない大雨、大急ぎで食堂に入りやむのを待った。まず国府の中心である国庁跡。資料館は地元民以外入館できない。私は何回も来ているので名誉地元民!で入れてもらった。今週訪れたのは一人だけだった。写真は4年前に奥さんと一緒に来た時撮ったもの。

下野惣社 大神(おおみわ)神社
国府の北側に3キロほど行った場所にある。昔は走ったが今は自転車で20分。本日は煙もたっていなかった。芭蕉様の句碑がいくつも立っている。歌人の歌も多い。惣社は六所神社が多いがここでは八つ(案内板にあるとおり)なので八嶋だ。

国分寺
昔壬生街道を走ってきたら国分寺史跡入り口の看板の指し示すところにケバケバシホテルがあった。教育上悪いんじゃないの、と思ったが今もちゃんと存在していた。国分寺の整備はすばらしい。しかし回廊などの復元はなされていない。それはポリシーをもっての事らしい。私も下手な建築物は作らない方がいいと思うが、何となく殺風景だ。

公園内には古墳がいくつかあり紫式部の墓まである。ちょっとやりすぎだけど。

国分尼寺
ほとんど隣に国分尼寺がある。こちらにはリニューアルされた資料館がある。子供たちが団体で見学していた。ケバイホテルの入り口から入ってきたのかな?

昔は下野は下毛野と書いた。上野も上毛野と書いた。今両方の地を結ぶ鉄道は両毛線という。上野は上州、下野は野州といい、どちらも毛州とは言わない。
資料館で見た埴輪。

薬師寺跡まで行ったが大雨で急いで逃げ帰ったので写真なし。

下野薬師寺跡 現薬師寺
写真なしと書いたら直ちに賀曽利さんから、下野薬師寺は大変重要ですとのメールと写真が送られてきました。その通りですから現在ある薬師寺(安国寺)の写真も一緒に掲載しておきます。夕暮れの史跡、いい写真だね。