越中国 惣社 一宮 国府 国分寺

越中国分寺

高岡の駅からJR氷見線の越中国分駅へ行き、そこから一宮の気多神社に向かった。その参道への道に国分寺の跡の案内板があった。

参道はもう市街地になっており国分寺の寺域もまったくわからない。小さな寺があるのと看板があるだけである。七重の塔の位置など全くわからない。下の写真は国分寺跡から市街地を見た写真。国分尼寺の跡の案内はどこにもない。

越中総社 一宮の気多神社
気多神社お参りに行ったところ、境内に「総社」の文字があった。総社と一宮神社が一緒ということは普通はないので、ここは元総社だったのだと納得する。他に一宮があったはずだと調べてみると射水神社が一宮であることが分かった。実は越中では全部で4社が一宮を名乗っている。それぞれに根拠はあるのだろうが、私は時代によって移動したと考えることにした。ともかく気多神社の中に総社があった。総社は国府のすぐそばにある。国府はどこに?

越中国府 

古代の国府は「総社」の近くにあるはずである。JR伏木駅の周辺には「国府」という地名がある。勝興寺、気象資料館に国府があったとされているようだ。気象資料館には行っていないけど、市のHPからの写真借用。勝興寺の門と本堂の写真はまたもや賀曽利さんから借用。

国守 大供家持
この国府の国守は万葉の歌人、編纂者である大伴家持だった。彼は国守としてここに5年間過ごしたという。高岡の各地に大伴家持顕彰碑がたてられている。もう少し勉強しておくべきだった。この写真も借り物!