読書チャレンジ 第4日目

読書チャレンジ:4日目。

2003年に学校の先生をやめて、大人のための科学教室「みわ塾」と農家の手伝い「猫の手クラブ」を始めた。当時話題になっていた「理科離れ」は子どもたちの問題だけでなく大人の無関心が原因だとの考えからであった。「大人こそ科学に関心を持つべきだ」と生徒たちの親年代を集めて新宿の榎町地域センターで講座を始めた。

そこに田口さんがあらわれ「人集めならいくらでも手伝ってやるよ」と言ってくれた。退職して収入が無くなった事を知っていたからだろうが、私は時間を作って遊びまわりたいのが一番だった。小規模で月2回ぐらいのことしか考えていなかったので、断って自己ペースでやってきた。みわ塾を始めて17年になるが最初の会から田口さんらが来てくれ援助してくれている。ありがたいことで「このご恩は一生忘れません!」(…ムリヤリ言わされているのだが)

田口さんのことは読売新聞にいたKITAMURAさんから紹介された。サハラマラソンを日本人で初めて完走した人だと聞いていたが、とんでもなくすごい人だとはあとから知った。ハーバード大学を出たあとJAICAの前身国際協力事業団、国連UNDPのスーダン常駐副代表、南北問題日本委員会事務局長など世界を股にかけて活躍をしたひとだ。今は女性の活躍はすごいが当時は日本女性の活躍はごく珍しかった。しかし56歳の時にですべての仕事を辞めて、私が勤務していた竹早高校のすぐ近くにある指圧学校に通い始めた。「介護施設でおばあさんにマッサージをしたら涙を流して喜ばれた。政治の世界で人々の幸せを目指してきたが、一人のおばさんを喜ばせる方が自分にはとっては向いていると感じて、指圧師になった」と話してくれた。

田口さんは56歳から26年間かけて「楽隠居」生活を続けている。その間の生活状況はよく知っていたつもりだが、「隠居の来し方」を読むととんでもない遊びスケールだ。四国遍路3回、西国巡礼、スペインサンチャゴ巡礼など、東海道、奥の細道全部歩き、66歳記念銭湯66入湯。外国は毎年モンゴル、毎年シンガポール、ガーナ、イスラエル、ブータンなど数知れない。

私は「落隠居」生活17年だが、自分の足跡を思い返すとたいして遊んでいないなと感じる。そんなことを言ったら奥さんが「あんな偉い人と比べるなんて!、あなたは世の中の人に比べたら何十倍も遊ばせてあげているのよ!」と怒られる。そうだな、比べる方が無理なのだ。我が家の奥さんにこそ「このご恩は一生忘れません」というべきなのかもしれない。

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コメント

橋本沙和 田口さん ❤️
みわ塾で東大に行った時、そこの道を、まっすぐ行くと京都みたいなことを言われて、田口さんのスケールの大きさに驚いたのを未だに忘れません😆

福井牧子 お〜田口さんだ🤗
私も奥の細道、西国、熊野等お世話になりました👏

高世泉 おぉー、田口幸子さま❣️一度中山嘉太郎さんの桃🍑農園猫の手でご一緒しました。その前に予習で中山さんから借りた「カルツーム便り」を拝読していたので、女傑っぷりに緊張してお会いしたら、優しいおばちゃんでホッとしたのを覚えています😅 「隠居の来し方」是非読まねば‼️

恩田 真砂美 すごい!ご紹介ありがとうございます!