尾張国府と総社国府宮


尾張国は大国であった。一宮の真清田神社、総社の国府宮は大変立派なものである。しかし国府、国分寺に関してはあまり力が入っていない。愛知県はいまも大県である。もう少し発掘、復元などに力を入れてほしいものだ。

国府・国衙
国府の位置は分からない。国府宮の駅近くに「国衙(こくが)」跡があるが、これは10世紀の頃に大江匡衡が国司として赴任した館である。国府がこの辺りにあったと推測されている。しかし私は、稲沢駅の東側に下津(おりづ)町東国府、西国府という地名があることを見つけた。地元の人に聞くと「国府山阿弥陀寺の東と西だよ!」というが、国府があったので国府山と名付けたと思っている。

総社 国府宮
名鉄に国府宮駅があり、線路に沿って長い参道が伸びている。三本の鳥居をくぐって楼門に入る。儺追(なおい)神事で大鏡餅は楼門を通るギリギリの大きさだそうだ。儺追神事は「はだか祭」として知られている。檜皮葺のすばらしい社殿の前では早めの七五三のお参りをする人がいた。

国分寺
矢合(やわせ)観音行のバス終点が国分寺の前である。本数は少ないので私は市役所から歩いた。新幹線をくぐるとすぐに現在の国分寺が見える。この国分寺は古代の国分寺とは直接の関係はない。国分寺跡は鈴置(すずおき)神社の先にあるが、発掘の途中?で何の整備もされていない。雨のあとだったので塔の跡へいくのは大変だった。そこには礎石が一つ、石碑が一つだけ。草刈りもしてない。

国分尼寺
法華滅罪之寺というのが正式の名前であり、法華寺、法花寺という名前が残っていることも多い。国分尼寺跡は「法花寺」という地名の場所にあったことが想像される。現在の法華寺が関係あるかもしれない。

9月10日、東京は22℃と涼しかったが、名古屋は暑かった。稲沢市役所までバスで行き、その後は歩きだった。帰りのバスがなくて、珍しくやってきたタクシーに乗って国府宮まで戻った。だんだん自分の足に頼れなくなった!ちょっとだけ寂しいことだ。