第6回四国遍路 第1日目

前回終了した土佐くろしお鉄道の平田駅から歩き始めた。朝早く家をでて羽田から高知龍馬空港に9時半ごろについた。富士山がすばらしかった。空港から高知駅に出て特急で四万十の中村駅へ、そこから平田駅に1時半についた。
平田駅から第39番延光寺までは3キロほど。この寺で高知県、土佐は最後の寺になる。でも距離も札所の数もまだ半分にもいかない。この先けっこう大変かも。とりあえず写真日記を入れます。

こんな富士山は初めて!

土佐くろしお鉄道:地域の街の支援を受けて走る

延光寺まで3キロ、38番からは遠かった。

まさに遍路道!久しぶりの道はいい感じ!

恒例の札所番号の前で記念写真

もうお遍路さんは多い。東京から2泊3日。14札所めぐる

明日は大晦日、27日はお正月

 昨夜は地平線会議、454回目の報告者の大西さんが「新年おめでとう!」とモンゴルの美しいデェール姿で登場した。
「なんでいまごろ?」
と思ったが、モンゴルの旧暦では26日が大晦日、27日がお正月だという。モンゴル人はこの暦で新年をお祝いするという。お正月は毎年異なった日になる。昨年は2月9日だった。
 
 青い空と草原のイメージと異なって、ものすごい大気汚染のウランバートルらしいが、大西さんの爽やかさは際立っていた。モンゴルの人たちとのかかわり合いをのべ、いまはモンゴルの雑誌に連載を持つまでになった夏奈子さんの活躍は、もとモンゴル大使の花田さんも絶賛してくれた。昨日はモンゴルとの国交樹立45周年の記念日だった。いい地平線報告会の企画だった。

今朝調べてみたらモンゴル暦はチベット暦をアレンジしたもののようだ。
2017年は
2月26日 大晦日「ビトゥーン」(朔日)
2月27日 お正月「ツァガンサル(白い月)」(二日月)
中国の春節(1月28日)よりもほぼ1ヶ月遅れている。
昨年は2月9日がお正月だった。そのときは春節(2月8日)とほぼ同じ。

モンゴル暦はチベット暦に準じた太陰太陽暦だが、本来の「月」の出を基準にしているので一日遅れになっているようだ。私もトルコで体験したが、月が出たかどうかは塔の上で観測する宗教者が決めていた。
旧暦のお正月とされる日は新月(朔)だから月は見えない。細い月が見えるのはその翌日だ。だからモンゴルのお正月(白い月)は観測によるので旧正月から1日遅れる。
さらに年によって1ヶ月遅れることがある(2017年)のは、西暦の2月に起こる「白い月」を基準にしているからのようだ。(確かめてはいない!)
いずれにしても、モンゴル人はカレンダーよりも自然の「月の出」を大事にしていることがわかった。たぶん世界に他にはないかな?

花粉症デビューかな?

我が家の奥さんはここ数年花粉症に悩まされており、もうマスク、メガネ、帽子で武装している。私は
「何やってるの?怪しい人と思われるよ!」
などと言っていた。しかし、ことしは私も仲間入りした感じで、目はかゆいし、鼻水ぐしゅぐしゅになってきた。私も外出時はマスク、サングラス、帽子、花粉のつかないウインドブレーカーの怪しい姿になった。

そんな姿なので、人に会うときには少々困る。土曜日には昔の卒業生と池袋で待ち合わせたのだが、全く気がつかないまま15分ぐらいたった。
「何年かぶりなのに、そんな格好してたらわかりませんよ」
と言われた。確かにそうだ。いまは各地に防犯カメラがついているから監視されているかもしれない。
彼らとの会食風景をアルバムにして送ってくれた。ありがとう。これで名前もわかる。彼らももう定年を過ぎている。私も年を取るはずだ。

ぶらりバークラブ、峠楽会

 東京峠楽会となって初めてのお散歩。本日は渋谷川と目黒川に挟まれた尾根を越える峠を見に行った。最初は別所坂を登り目黒新富士跡にでて、尾根上をとおる三田用水を歩く。三田用水跡が区界で渋谷区と目黒区に分かれている。

猿楽町交差点から目黒元富士、朝倉邸庭園の脇にでる。超高級マンションが立っている。東久留米在住の仲間が、都会に住みたいなあ!と言うが、こんなところに住んだら不幸になる。安いお店などないんだから。元富士跡を下るのが目切り坂。そこから西郷山にいく。西郷山の上に河津ザクラが一本咲いていた。

神立スキー場

越後湯沢駅をでたらちょうどバス来た。貸切状態でスキー場にきてちょっとだけ滑ってみる。今回は80センチという短いスキーを持ってきた。靴は登山靴のまま。もちろんかっこよく滑ることはできないが、まあ十分だ。これなら用具を送らなくても手軽に行くことができる。

先週は岩原スキー場でシニア5時間2000円だったが、神立は午後券シニアは3000円だから効率は岩原の方がいい。どうせ2時間しかすべらないのだから、安いほうがいいや。午後1時過ぎに雨が降ってきた。本日は東京も春一番で暑いそうだ。雨のスキー場なんてまっぴら。5時には家についていた。正面は飯士山。右側の斜面が岩原スキー場。目の下は神立スキー場。こんな広いスキー場を独り占めと思ったが、雨が降ってきた!

植村直巳賞は平出さん!

1984年2月13日は植村直巳さんの命日。この日に合わせて植村直巳冒険賞が発表される。ことしはちょっと遅れて16日に植村さんの母校である明治大学の紫紺館で発表があった。受賞者は世界トップクラスの登山家である平出さんだった。彼の登山は誰も行ったことのないルートを選んで登っている。その大変な登山のさなかにもビデオ撮影をして、誰も見たことのない景色を共有させてくれる。山岳カメラマンとしても超一流だ。

三浦雄一郎の80歳エベレスト登山でもカメラマンとして先回りして写真をとっている。田中ゆうきの日本百名山一筆書きの撮影も彼のカメラである。走りながら登山をしている田中を前後に回ってとっているのは、彼よりも重い荷物を持って、倍ぐらいの距離を走っている。とてつもない体力の持ち主だ。登山家としての評価もすばらしいが、カマラマンとしても大冒険と評価された。すばらしい。SEKINEさん、NOJIさんらと枯れ木も山の賑わい役で出席したが、部屋に入れないぐらいの盛況だった。

池田なみ 歌手!

 ここのところぶらりばークラブにも来ていなかったが、歌手のなみちゃんがニューオルリンズから戻てきました。youtubeに彼女のビデオが載っています。ぜひ見てあげてください。前に聞いたよりもはるかに成長したなという感じです。どうぞよろしく。下島じいさん、ご指導ありがとうございました。すばらしいね。
Nami Ikeda / (CD) Jazz For Everybody:Demo
https://youtu.be/ENtXzmofvj4
Nami Ikeda / (CD) Jazz For Everybody:Amazing Grace
https://youtu.be/V5jQevQnWME

なにか恐ろしいことが・・・

北朝鮮が安倍、トランプ会談にあわせてミサイルを打ち上げた。「オイラを忘れてはいないかい?」というメッセージだろうが、安倍さんにとっては絶好のタイミングだった。これで日米同盟がさらに深化するからだ。金正恩に感謝しなければいけない。

などと思っていたが、インターネットに金正恩の兄の金正男が暗殺されたとの記事が出ている。詳細はわからないが毒殺されたとある。だれがやったかわからないが、そういう指令は出ていたのだろう。金正恩に感謝などと書いたが、やはりとんでもない指導者だ。あすのテレビはこれでもちきりだろう。テレビネタは尽きないなあ!

アメリカ大統領と安倍首相

Look at me!  ってのは「私を見て!」の意味。トランプ大統領は安倍首相が言った言葉を忠実に守って、安倍首相の顔を見続けた。テレビを見ていて、「なんじゃこりゃ!」と思ったが、トランプさん、思ったよりもいい人なんだ。でも安倍さんは「カメラマンの方を見て!」というつもりだったんだろうに。

首脳同士の会話を通訳を通さないでやるとこういうことになる。安倍さんは英語が堪能でアメリカの国会でも英語で演説した。まあ原稿は印刷して配られているので、言い間違えても大丈夫だが、国家を代表する人が、1対1で相対するときには、いくら英語が堪能でも、通訳を交えなければいけない。昔の総理で宮沢さんという英語が超堪能な方がいたが、交渉時には必ず通訳をつけた。交渉時には必ず日本語でやった。

今のトランプさんも安倍さんも軽すぎる。人前でペラペラとしゃべりすぎる。国家的な交渉事を相手の私邸でなんかでやってはいけない。どこに盗聴器やカメラが仕掛けられているかわからない。ロシアのプーチンさんを招いた時も、温泉宿に泊まった時にはなんの交渉もやらせなかった。そのあとすぐに東京に戻って話をしたようだ。今回だってゴルフ場でなんやら秘密めかした交渉はまずい。政治にショーは必要ないんだから。

トランプさんはまもなく仕事を投げ出しそうだな。まさかの大統領になったので、それでもう十分。娘のブランドを世界に売り出せば、もうそれで良しとする。めんどくさいことは担当者が適当にやってよね! というところだろう。

またスキー場に!越後湯沢

2月11日は建国記念日。神武天皇が2673年前に橿原神宮で即位した日で、昔は紀元節と言ったそうだ。その祝日はスキーにはもっともいい時期で、各地のスキー場はお正月以上に混雑する。そんな時期に年寄りがウロウロしてはいけないということは承知。と思っていながらスキー場の繁栄を見に越後湯沢にやってきてしまった。ガーラ湯沢は大混雑と駅で聞いたので岩原に行ってみる。シニア5時間のリフト券2000円というのがあるので、利用する。シニアというのは55歳以上。証明書をださなくても見ただけでOKだった。昔なら元を取るまでリフトに乗りまくったが、ちょうどいい混雑でゆっくり休みながら全リフトを一回づつ乗って終了。1時間半だった。2時間券というのがあれば、それでもいいな。

スキーはカービングではなく昔の古いのを取り出した。もうこんなスキーはゴミ捨て場にも捨ててない。ベントというカーブもほとんどない。スキー幅は今のように屈曲はなく一定の幅。締め具は自分でつけたものだから滑り止めは付いていない。その分軽いので年寄向き。流れ止めの紐はボード用のものを転用した。古いけど靴も足になじんでいるので案外滑りやすい。

岩原は年寄と子供が多い。こんな緩やかなコースは若者には人気がないのかもしれない。大混雑と聞いていたので、年寄は迷惑と思ったが、枯れ木も山の賑わいのかんじ。スキー場も淘汰されて、住み分けが進んでいるようだ。お隣の中里スキーは子供専用の感じ。在来線の改札口がそのままスキー場なので家からスキー靴を履いてやって来られる。近場の皆さんには都合はいいが、ファッション先行の若者には敬遠されそうだ。昔は我が家も家族で日帰りスキーに利用したが、家族連れにはありがたかった。

ちょっとスキーをやってあとは温泉。越後湯沢は川端康成の「雪国」が大当たりで有名温泉になった。駅前には「駒子の湯」など日帰り温泉があるが、そこはいつも満員。わたしのお気に入りは岩原スキー場からしばらく歩く「岩の湯」だが、車がない今歩いていくのはかなりきつい。駅前の温泉銭湯が一番いい

2月会の下見、池袋!

何かにかこつけて年寄りが集まっている。今月は2月、2月生まれの食事会をやることになっているので、その下見をしてきた。池袋の区役所は古くて危険そうだったが、数年前にオリンピックの国立競技場の設計をした隈健吾によって作られた高層の役所に引っ越した。その跡地が再開発されており、そこに新しくビルが建ち始めている。一昨年に建てられた新しいビルの中にブラジル料理の店がある。若者ばかりが出入りしているのでちょっとちゅうちょしたが面白そうなので入ってみると、これはなかなかいい。お肉料理なので年寄メンバーにはちょっとボリュームが多そうだが、でもブラジル人の料理人が焼けたお肉を大きな串につけたままで持ってきてくれる。中近東のシシケバブみたいで面白そうなので、予約を入れた。みんな喜んでくれるかな??

東京峠楽会 小日向あたり

 ぶらりバークラブの中に東京「峠」楽会ができました。さっそく支部長さんからレポートが届きました。ぶらりバークラブのページにアップしました。ご覧下さい。都区内の峠について、いろいろ語ってください。できましたら、原稿はメールでお願い押します。さらに地図は必ず添付してください。坂付近にたいてい案内地図板があるので、写真にとってください。坂の名前などは編集人が入れますので。

ぶらりバークラブのページから見てください。

東京湾クルーズ

 4月12日(水)に新東京丸で東京湾クルーズをすることになりました。手配はすべてぶらりバークラブの尾方さんがやってくれました。この船を貸切にして東京湾のオリンピック競技場などを回ります。公の船なので、参加料は無料です。主催はぶらりバークラブですが、もともとぶらりバークラブはだれでも参加できますので、友人らを連れて参加ください。参加の方は早めに申し込んでください。

詳細は こちら へ。あるいはホームページのブラリバークラブのページから見てください

志摩一宮 伊雑宮

2月6日、皆さんと昨日分かれ、私だけ四日市に泊まった。夕食を三重県の地学教師をしているARAIさんと食べた。四日市名物というトンテキ、とんでもない大きさの豚肉にキャベツだが、そのたれがまさに名物なのだろう。若い彼にはかなわないので半分ほど食べてもあう。久々に会ったのでいろいろ話が尽きない。うれしいことだ。
朝はゆっくり起きて鈴鹿セブンという山並みを写真に写そうと思っていたが、山のほうだけに雲があって写真はとれない。残念。
最初多度大社に行こうと思っていたが、インターネットを見ているうちに志摩の伊雑宮とヤマト姫が大きく関係していることを知って、そちらの話を聞きに行くことにした。近鉄特急で志摩磯部駅でおり、歩いて向かう。途中に志摩の民俗資料館があったので寄ってみたら2月は長期休業とのこと。
伊雑宮にお参りをして戻ると現役の「御師」(おし)の方が、いろいろお話をしてくださった。ヤマト姫の話を誰かに聞こうと思っていたところだったのでちょうどよかった。御師さんはヤマト姫の墓所に案内してくれた。先日伊勢内宮のそばにヤマト姫の墓所に作っれたという倭姫命神宮に参った。その時にその神社は大正7年に作られたときいた。伊勢神宮は2000年の歴史を持つというのに、その神様を案内したヤマト姫の墓がつい100年前に作られたというんは合点がいかなかった。

御師さんの話では伊雑宮で大正7年にヤマト姫の墓が発見され鏡が出てきた。しかしそんな大発見を伊勢神宮としては認めるわけにはいかない。発見された遺物はすべて持ち去られ、急いでヤマト姫の墓を内宮の地に作ったのだそうだ。ヤマト姫を祀る社がつい近年作られたのはなぜか疑問だったが、御師さんの話で氷解した。ヤマト姫は伊雑宮に天照大神を祀ったあとここで亡くなったそうだ。93歳だったというが、本当かな。全部伊勢神宮に持って行ったというが、実はお墓の底の石は大きくて持ち運べなかったそうだ。そこで御師さんは一計を案じた。竹下内閣が各町に配った一億円をもとに、その石を掘り出し、御田の前に記念碑として建てたそうだ。さっき通ってきたときに立派な石が建てられていると感心したあの記念碑だった。現地に行ってみるとおもしろい話がたくさん聞ける。ありがたいことだ。