旅の文化研究所発行「旅の民俗」シリーズ

旅文化研究所から「旅の民俗シリーズ」3巻が発行された。それを記念したシンポジウムが開かれたので、我が家の奥さんと出かけた。執筆者の多くは知り合いなので、興味深かった。「女相撲の旅」の著者の亀井さんとは何年ぶりだったか。むかし観光文化研究所で女プロレスの話を聞いたことを思い出した。冒険と探検を書いたのは岡村さん、行商人の旅を書いたのは山本さん、みな活躍している人だ。

竹細工の旅を書いたのは稲垣さん、あのガキやんだ。今も竹細工職人として各地を回っているのだ。数年前にもあったが、迫力は昔のままだった。著者の人たちはほとんど会場に姿を見せたが、彼だけは来ていなかった。私には文章を寄せたというだけでも驚いた。人前に姿を見せることはしないのは彼の流儀だろう。彼に文章を書かせた神崎所長はえらい。

津軽三味線の旅は二代目高橋竹山さんが書いた。さらに津軽三味線は演奏は本日の目玉だった。友人の関根夫妻は大ファンだというので誘った。満足してくれたようでよかった。津軽三味線奏者の車谷君も誘ったら、台湾から来てくれた。かれも満足してくれたようだ。よかった。

石神井川と隅田川の合流部

昨日(29日)は台風22号の雨と風でとても歩くことはできなかったが、孫が退屈しているので科学未来館に行った。台風最中に科学館に来る人はいないだろうと思っていたが、新橋から乗った「ゆりかもめ」は満員だった。でも彼らの行き先は東京モーターショーだった。科学館で降りた人は少なかった。でもなかなかおもしろかった。孫も少しは満足したようだった。

私は我が家周辺3万歩お遍路は3日で途切れた。本日は台風一過。すばらしい青空。でも風は強く、歩くとフラフラする。なので本日は杖(折り畳みのスキーストック)を持ってでかけた。我が家の近くの石神井川を下って行った。石神井川は隅田川に合流するのだが、その合流部にはいろいろな工場が密集していて立ち入ることができない。

本日その近くまで行くと清掃工場の門が開いていたので、係の人に頼んでみたら、「いいですよ!」とのこと。この工場からは不燃物を船に乗せて埋立地に運ぶのだそうだ。いつもはトラックがいっぱいなのだが本日は川の波が高いせいか、船が到着していなかったので、しっかりと写真を撮りことができた。係のお兄さん、ありがとうございました。

王子の西福寺の天井絵

東京はまだ台風の影響はないが、愛媛国体の開会式は雨の中で行われている。長い間準備をしてきただろうに関係者はがっかりだろう。私たちのお遍路中止とはがっかり度も違うだろうに。お気の毒に。でも雨にも負けず頑張ってほしい。と思ったが大雨、大風ではがんばりようもないな。

私は3万歩を今日も維持している。王子方面に行ったが途中で西福寺に寄ってみた。前にきた時には工事中だったが、今日はもう仁王門の天井絵も完成し、最後の仕上げにかかっていた。なかなか美しいので写真に残しておこう。

お遍路中止! 東京で峠探し!

26日から四国遍路に出ることにしていたが、直前になって台風22号接近、松山で受け入れ予定のOさんの入院が分かった。Jetstarのチケットはキャンセルできないので放棄することにした。まあLCCの安売り切符なので仕方ないが変更ぐらいしてくれてもよさそうだが・・・

昨日からへんろ道を歩いているはずだったので、我が家の周辺を歩いてみている。本日は3万3千歩、昨日は3万歩ピッタリ。本番では1日2万歩が限界だが、うちの周辺では荷物もないし上り下りもないので3万歩(22㎞)ぐらいは歩ける。でも少々自信が出てきた。

本日は11月4日の峠楽会の下見を兼ねて鶯谷から田端までの崖を辿ってみた。谷中の墓地の下が一番いい感じで崖が見える。いい坂もあるのだが、崖の上はひろい墓地で平たんなので「峠」地形はない。少々残念。でも日暮里の駅前から上がった坂は、その先で夕焼けだんだんに向けて下っている。ここまいい感じの「峠」だ。

台風一過、台風被害:金魚

23日の明け方、東京付近を台風21号が通過していった。中心が来る前はかなりの雨が降ったが、通過したらすぐに雨はやみ、強い風だけが残った。我が家は植木鉢が行くとか転がり落ちただけと思っていたら、金魚池の水があふれたらしく、孫から預かっていた大きな金魚が植木の間に横たわっていた。

亡くなった人もいるのに金魚ぐらいで落ち込むなと言われそうだが、動物を飼う、いや植物でも育てると愛情が湧くものだ。植木鉢が落ちて、根がむき出しになっても植物は再生するが、金魚は水からでるともうだめだ。かわいそうに、金魚さん、申し訳ない。ごめん!

今回の台風、選挙一色の報道だったので我々は知らなかったが、かなりの被害があったようだ。特にヨット競技が行われる江の島あたりは高潮で大変だったようだ。報道というのは難しいものだ。一局ぐらい災害情報を主にする局があってもよさそうだ。

月曜日午後は台風一過の秋晴れだった。昨日今日も晴れの予想だったが、今日は雨。プールの駐輪場に自転車を置いてきたが、取りに行けない。こまったなあ。

 

衆議院選挙 

ちょっと前、新しい党ができたときに「百合子がんばれ!」とこのブログに書いた。百合子さんが頑張ってくれたおかげで、民進党は解体して雲散霧消となった。おかげで自民党は大勝も大勝。安倍さんは小池さんに足を向けて寝れないだろう。もし希望の党ができていなかったら、民進党、共産党で選挙協力して自民党の2年生議員を追い落としていたはずだ。それは今回の野党の票数を考えればありうることだった。

安倍さんは選挙前に233の過半数をとれば勝利だとしていた。だいぶ低いハードルだと考えられていたがも自民党の予測としてはこんなものだったのだろう。実際に比例区の投票を見れば、それぐらいの数だ。安倍さんは300の議席が取れるとまったく予想をしていなかったはずだ。ところが相手が勝手に転んでしまった。いまは安倍さんの時を見る慧眼をたたえるしかない。

もうすぐトランプ大統領がやって来る。安倍さんはトランプ大統領を100%信頼しているというが、それは慧眼だろうか。もう少しで結論が出るかもしれないが、それまで日本人としてはじっと見守っていくしかない。安倍さんも強調しているが、北朝鮮状況あまりにも複雑怪奇、トランプ政策で大丈夫なのか心配だ。

 

ホームカミングデー

昼に友人にあったら、明治大学のホームカミングデーに行くと言っていた。私もHCDに行くのだと言ったら、どこの大学だっけ? と聞かれた。「大学じゃないよ、高校だよ」と言ったら、「高校でHCDなんかやるの?」と言われた。HCDというのは大学で、が常識のようだ。

しかし我が戸山高校では13年前からHCDをやっている。私は自分が勤務した年代が当番の年から出席している。戸山高校では卒業から30年後の学年が当番になり、同期会も兼ねたHCDをやっている。通常はその学年の担任団がゲストとして呼ばれるのだが、3年前に委員から手紙が届いたので私は出席し、花束などもらった。しかし「なんで担任じゃないのに来たのか?」とその学年の担任に言われた。

でも呼んでくれたのだからいいじゃないかなあ!と昨年も嫌味を気にしながら出席した。卒業後も付き合っている連中がいるので、彼らが「担任じゃないけど来てくださいよ!」と言ってくれたからだ。ついに今年は堂々と自分の学年なので担任団として花束を受け取った。150人もの同期生が来ていた。私のクラスの生徒は30人近く来ていた。これはすごいことだ。私のことを嫌がっていた生徒は、たぶんクラスの半分ぐらいはいたと思っていたので、少々驚いた。年月はいやな記憶は薄め、懐かしさは増幅させてくれるようだ。

私にとっては彼、彼女らはまだまだ高校生の延長のように思っていたが、卒業30年というのは当時の私の年齢をだいぶ上回っている。今の社会を動かす中枢にいる連中もかなりいた。もう彼らにとっては先生というのはもう敵対するものではないのだろう。みな妙にやさしくいたわりを持ってくれた。ありがたいのか、寂しいのか。高校生の時のように「そうじゃないだろう!」などと言い合ってみたいが、もう簡単にかわされてしまうだろうな。

大変うれしい一日であったが、反面もう世の中から「いい人だった!」と祭り上げられた存在になっているのだと感じた。「あの野郎め!」と言われるようなエネルギーはもうない。静かに余生を生きていこうか。それはそれでいいのだが、でもほんのちょっとだけ寂しさも感じた一日であった。

七福神

昨日から急に神さまづいてきた。
本日は川口で「A.I.」についてのお話をしてきたが、その帰りに赤羽駅で「七福神」の像を見つけた。七福神というのは一体何の神さまか? よく知らなかったが、インターネットで調べると、インド、中国、日本の神さまを適当に選んで「めでたい神さま」という信仰を得たという。
とりあえずその像の写真を載せておきます。今回の写真は新しいデジカメcanonIXYでとりました。

今日も雨:芸術鑑賞

今日も雨が降っていた。きのうちょっと晴れたが、本日はまた雨に逆戻り。寒い。朝の最低気温は10℃を切ったようだ。家でぐずぐずしても仕方がないので、友人の高名な書家の展覧会を見に行く。銀座アートホールでの日書学春秋展。今年で35回だそうだ。我が友人は今やそこの代表で、さすがに立派な書を書いている。しっかりと本人解説してもらった。掲載許可あり

雨の中、新橋まで歩き、バスで根津美術館へ。再来週にお茶会で来ることになっているのだが、「ほとけを支える」という企画展が22日までと聞いたので、行ってみた。年を取ったせいか最近「神・ほとけ」が気になるようになった。仏さまも神さまも一人ではなく、組織がある。日本の昔の神さまは自然神で、みな平等だったが、階級制度の厳しい仏教の影響でだんだん序列がついてきた。天照大神は大日如来と同じとか・・・。今回の展示は「ほとけを支える」いろいろな神(?)が主役だった。その中でも金剛界八十一尊曼荼羅(重要文化財)がすばらしかった。写真はパンフレットをコピーしたが、このようなほとけ様が81描かれている。その一体一体が微妙に異なっていて、見飽きない。曼荼羅はチベットで見たが、こちらの方が精密で美しい。たくさんの仏さんを見て、”ほんのちょっと”だけほとけの世界の組織が分かったような気になった。

尾張国一宮:真清田神社

尾張国一宮は、JR東海道本線の尾張一宮駅のすぐ近くにある。というより一宮のそばにできた駅なので尾張一宮となった。もともとは一宮駅だったが、ほかにも一宮という駅があったので、1916年に尾張一宮とか上総一宮となったそうだ。
それはさておき、尾張一宮のページを作りました。ページを作ってみると、服織神社など末社、摂社などのことをもっとよく見ておくのだったと感じた。次回にもっと充実したものにするが、とりあえずアップしておきます。

尾張一宮:真清田神社 ☚ クリック

本日はマレーシアからINAMURA君が帰ってきたので、東京駅の前のレストランに仲間が8人ほど集まった。平均年齢ほぼ70歳、私は最年長。私の話題は健康問題だが、皆さんまだまだ元気で、ジャズの話など、私はついていけない感じ。ムムー、時代から取り残されているなあ。まずい!

志摩国一之宮 伊雑宮

   伊雑宮はいざわのみや、いぞうのみや、と呼ばれる。表示はいざわだが、一般的には「いぞうぐう」のほうがなじみがある。志摩の国伊勢神宮の神様に食事を供給する「御食津国」であった。(ほかには若狭国、淡路国。)
現代の志摩もおいしいお食事がある。その象徴的は神社である。海産物を取るのが志摩の海女さん。彼女たちはセーマンドーマンというお札を魔除けにして海にもぐった。
志摩国一ノ宮 ← クリックしてください

伊勢国一宮 椿大神

ここのところ全国一宮をまわった報告ページを作っている。本日は鈴鹿にある伊勢国一之宮のページを作った。伊勢の国の一宮は当然伊勢神宮と思うが、伊勢神宮は別格で、天照大神を伊勢にお連れした導きの神である「猿田彦大神」が祭神になっている。猿田彦神は鼻が高く赤ら顔なので、外国人を模しているのではないかと言われている。かなり謎の神様で、近年は強力なパワーを持った神として人気が高い。おばあさんの原宿である巣鴨地蔵通りにも猿田彦神社がある。

伊勢国一之宮 椿大神社  ←クリックして下さい!

東京峠楽会 石川台雪見峠

14日土曜日、雨が少々降っていたが洗足池から歩きました。今回は中原街道を歩い石川台駅へ。この駅は台地の中ほどにあり、きつい坂の途中駅です。駅前の喫茶店で、のんびりとしていた仲間を拾って雪谷八幡神社へ。この神社も斜面を利用してうまく作られています。ちょうど結婚式の最中で、新郎新婦が笙(しょう)、篳篥(ひちりき)、龍笛(りゅうてき )の演奏家の後をついて石段を上っていました。お嫁さんは慣れない履物で雨の中歩くのが大変なようでした。 そこから下流に歩き雪見坂から石川台に上っていきました。二段上りですが頂点に立つと反対側の町が見えます。皆さんの同意で、わが東京峠楽会では雪見峠と名付けることにしました。昔は富士山の雪が見えたそうですが、今は武蔵小杉の高層ビル群が見えます。写真は雪見峠のちょっと南の場所から撮りました。 わが峠楽会には坂道に詳しい人がいます。「この先に車も登れない急坂があるよ」というので早速行ってみました。車道ですがあまりにも急なので通行禁止になっています。写真を撮りましたが、あまり急には見えないですね。本当はブレーキをかけても滑り落ちるぐらいの坂です。この坂を上がって荏原病院を下る場所も「峠」ですが、いい名前が思いつかないので、そのままになっています。次回までには何か名前を付けましょう。

夏みたいな日!

  夏みたいな日がまたやってきました。世の中も騒がしく、なんだかわからない選挙で盛り上がっています。結局は選挙を前に民進党が′雲散霧消しただけという結果になりそうだ。小池さんは読みを誤ったかな。人気はそう長く続かない。悪い噂もすぐに忘れる。昔の私の住まいである新座市でもハゲーのおばさんが出馬するそうだ。でもまだ忘れていないのだが・・・

ところで10月14日の「峠楽会」の掲示板を、今回は早々と作りました。
http://kazmiwa.sblo.jp/?1323349071
に載せましたので、見てください。

今回は必ずお茶時間をとります。前回は
「高いからヤダよ!」とのことだったので、コンビニでお茶とおやつを買って
池のほとりのベンチでお茶ということにします。雨だったら止め!

池月と磨墨(するすみ)

   池月と磨墨(するすみ)って何のことかわからないだろうが、爺さんになるとこれぐらいのことはわかるのだ。次の峠学会の下見調査に洗足池に出かけた。池の周りをまわっていると千束八幡神社があった。今回は神社はパスするつもりで、石段を上がらずに池之端をめぐると、台の上の境内に馬の銅像が目に入った。名馬「池月」とあった。平家物語に出てくる宇治川の争いで、名馬二頭が先陣を争って急流を渡る話である。私が知っているのは「平家物語」ではなく、日本昔話のような子供向けの本だったと記憶している。

池月と磨墨の名馬は二頭とも源頼朝の馬だったが、池月は佐々木高綱に、磨墨は梶原景季に与えられた。再起した源頼朝は宇治川で木曽義仲と戦うが、その時に急流を馬で渡ろうとした。梶原と佐々木は先陣を争って川に入った。梶原のほうが先行したが、佐々木は磨墨の腹帯が緩んでいると指摘した。梶原がそれを直している間に佐々木と池月は川を渡ってしまった。子ども心に佐々木高綱って人はズルイと思ったことを覚えている。

その池月の銅像が洗足池にはあったが、梶原景季の磨墨の塚も見たような気がしてきて、昔のブログを探してみたら、大田区の郷土博物館の近くの万福寺で梶原家の墓を見たことが記されていた。行ったことを思い出した。名馬は二頭とも洗足池近くにいたのだ。そんなことで感心していたら、肝心の峠を歩くのが遅くなった。でもまあいいか。