■2-3 高天原を探して旅をした

昔は高天原をさがすことなど不遜と言われたが、今は各地で高天原や天の岩戸、天の浮橋、天の御柱など「天」が付く場所に多くの観光客が訪れている。私も2013年、できる限り高天原と関係のありそうなところを巡った。その中で気になった場所をいくつか紹介しておく。

対馬のアマテル神社
 日本神話の元が朝鮮半島であるとの説には違和感があるが、対馬に行ってその説にも一理あると思った。日本史の授業で「仏教伝来五五二なり」と習った。今は538年だそうだが、その年百済の聖明王から公式に仏像と経典が日本にもたらされた。朝鮮半島から対馬を経て壱岐から北九州、大和へ仏教が入ってきたのである。
2013年私は全国一宮めぐりの一環で対馬一宮の海神神社を訪れた。対馬一宮の近くの小船越に日本初の寺があった。聖明王からの仏像と経典を一時的に納めたお堂が寺となった。いま梅林寺というお寺がある。
寺のすぐそばに鳥居があった。扁額には写真のように「阿麻て留」と彫ってあった。ここは「あまてる」神社で天照大神を祀っていると聞いた。天照大神も仏教と同じように朝鮮から対馬を経由してやってきたのではないか。ただの直観であるが、高天原は朝鮮半島であるという説にも一理あるような気がしてきた。

天の浮橋は天の橋立かな?
伊邪那岐・伊邪那美神は高天原から下界につながる「天の浮橋」に立って国生みをした。
日本三景の「天の橋立」、この文字を見れば誰でもここが「天の浮橋」と思うだろう。昔の人はたぶん「天の橋立」から「天の浮橋」をイメージしたに違いない。あるいは逆かもしれないが。
橋立の対岸に丹後一宮の籠(この)神社がある。籠神社は別名元伊勢で、ここで数年過ごされた天照大神は「天の橋立」を渡って伊勢に向かって旅したという言い伝えある。
籠神社の裏手の舟屋でゆうめいな伊根という集落がある。浦島太郎ここで亀を助け竜宮城へ行くのである。たぶん舟屋の舟で竜宮に行ったのだろう。私は、竜宮城は琉球で、そこが高天原であると少しだけ思っている。海のかなたに高天原があるとするなら、朝鮮半島よりも琉球の島々の方がいいかなという程度の理由にすぎないが。暇なのでスケッチ図をしてみた。天の橋立は浮き上がり竜になった。天の浮橋は竜宮城、高天原に向かっている。

天照大神がうまれた阿波岐原へ

伊邪那岐が「みそぎ」をした「阿波岐原」は宮崎のシーガイヤ脇の江田神社の近くにある。宮崎空港から直接走っていった。もとは入江だったが今は砂丘の間の小さな池になっている。御幣が立っているのでここが神さまの「みそぎ」場所である。しかしみそぎ場所の阿波岐原ならもう少し澄んだ水がなければならない。せっかく交通費を工面して宮崎まで行ったが日向の阿波岐原にはちょっと失望した。
しかし阿波岐原から北へ30キロにある西都原(さいとばる)に行って驚いた。ここの古墳群は日本一かもしれない。その中に「男狭穂(おさほ)塚古墳」「女狭穂(めさほ)塚古墳」というペアの古墳がある。天照大神の孫であるニニギ神と奥さんのコノハナサクヤ姫の墓とされ、宮内庁は陵墓参考地として管理している。阿波岐原では高天原パワーを感じなかったが、ここではビリビリするほどのパワーを感じた。ここは天照大神の住む高天原と近いところにあるのかもしれない。

オノゴロ島には天の御柱があった

淡路島はオノゴロ島として人気が高い。オノゴロ島は伊邪那岐・伊邪那美神が大八洲(おおやしま)を生んだ場所である。オノゴロ島の「天の御柱」を回って島々を産むのである。オノゴロ島であるためには「天の御柱」がなければならない。しかし淡路島にはそんな柱はない。伊邪那岐神社があるので大八洲の一つと認められているが、どうもオノゴロ島ではないような気がしている。

私は淡路島の南にある沼島(ぬしま)がオノゴロ島だと思っている。天の御柱(みはしら)に匹敵する巨大な上立神岩が沼島にあるのだ。
沼島は淡路島南端の土生(はぶ)港から友ケ島水道を超えて15分ほどのところにある。友ケ島水道の下には日本最大の断層である中央構造線が横たわっている。南アルプスの分杭峠で構造線パワーを受けたことがあるが、日本最大の断層である中央構造線は友ケ島水道を通っている。中央構造線の南側はどこでも青石(緑色片岩)が現れている。有名なところは四国の大歩危小歩危の地形地質である。ここ沼島も青石の島で、天の御柱である上立神岩も巨大な青石である。まさに高天原パワーと構造線パワーの集中した島で、ここがオノゴロ島と私は確信している。
沼島を訪れてから数年後紀ノ川の河口にある和歌山城に上った。紀ノ川は中央構造線に沿ってできた川である。河口からその延長線上の瀬戸内海に島が見えた。googleの地図で見ると淡路島と沼島だった。二つの島の間の友ケ島水道の海底に中央構造線が走っているのが私の眼には見えた。その時も沼島がやはりオノゴロ島であることを再認識した。