■3-4 因幡でも抗争。大国主神がやってきた!

2013年5月、出雲空港から出雲大社に行って遷宮の様子を見ようと思っていた。しかしその前後のチケットは完売で、私は鳥取空港から列車で行くしか方法はなかった。
しかし結果的にはこれは大変良かった。というのは出雲の盟主である「大国主神」は鳥取県(因幡)の国から島根県の出雲にやってくるのである。その足跡をたどることができて幸運だった。

「大きな袋を肩にかけ、ダイコクさまが来かかると……」
という唱歌が聞こえてきた。
山陰道(国道九号線)に白うさぎと大国主神の像が立つ道の駅からの音だった。道の駅の奥の高台に白兎(はくと)神社がある。観光用の新しい神社かと思ったが、昔からある由緒正しい神社だった。

のちに出雲の神さまになる大穴牟遅(おおなむち)は、いじわるな兄神たちに大きな荷物を持たされ、因幡の海岸を歩いていた。大きな荷物が重たいので、兄たちに遅れてやっと気多(けた)の岬に着くと、そこには皮をむかれたウサギが泣いていた。

大穴牟遅が「どうしたのか」と尋ねる。ウサギは隠岐の島に住んでいたが、海を渡って因幡の国に来たかったので、ワニを呼び出し、一列に並べて、「数を数えてやる」と言ってだました。
ワニの背中を飛んで因幡の海岸につく直前に
「やーい だまされた! 海を渡りたいので、お前らを並ばせただけだ」
とつい言ってしまった。

それを聞いたワニがウサギを捕まえて、怒りにまかせて皮を剥いだのだ。
先に通りがかった大穴牟遅の兄神たちは、かわいそうなウサギに
「海水に肌を浸して、太陽にあたると治る」
とウソを言った。その通りにすると肌が赤くなって痛みが増した。
いじわる兄たちと違って、最後尾にいた大穴牟遅は優しく、
「真水に肌を浸して、蒲の穂に包まっていれば治る」
と言った。ウサギがその通りにすると元通りの白ウサギに戻った。

喜んだウサギは大穴牟遅に、
「兄神たちは因幡の八上比米(ヤガミヒメ)と結婚しようとしているが、無理でしょう。八上比米と結婚するのはあなたです」
と告げた。
白うさぎの予言の通り、大穴牟遅は八上比米と結婚した。大穴牟遅神の最初の奥さんである。

昔から日本に「ワニ」はいない。山陰地方では「フカ」のことを「ワニ」と呼んでいる。古事記の作者はフカがウサギの皮をはいだと言いたかったとの珍説があるが、ワニは「和邇」族、ウサギはたぶん「宇佐」族のことを伝えたものだろう。和邇族も宇佐族も海洋系の渡来民族で、彼らの力をたばねて日本国が出来上がったことを神話にしたものだ。現在は「和邇」は奈良の近くに、「宇佐」は九州四国に地名が残っており、古代豪族にもその名がある。

白ウサギの予言どおり、大穴牟遅は八上比米(やがみひめ)と結婚する。ふられた兄神たちは怒って、大穴牟遅をめちゃめちゃにいじめる。紀州のイタキソ神社の五十猛神のもとに逃げるが、そこまで兄神たちは追ってくる。

大穴牟遅はついには黄泉津比良坂(よもつひらさか)の先にある黄泉(よみ)の国に追いやられた。黄泉の国は、根の国とも呼ばれる死者の国。
大穴牟遅は殺されてしまったのだ。

「因幡の白うさぎ」の話は、めでたしめでたしではなく、いじめ殺される悲劇である。 因幡の国でも血で血を洗うような凄惨な抗争があったことを示している。