■1-6 御杖代に導かれた神さまの旅

  崇神天皇の宮殿から神様は別の場所に移って行かれるが、その時に御杖代として巫女が先導した。天照大神を桧原神社にお移しする大事業を成し遂げた巫女の業績をたたえて桧原神社の下に大きな墓が作られた。箸墓の話であるが、神話は何かごちゃごちゃしていて様々な話が混じっている。御杖代の巫女は大物主神の妻の巫女でパンデミックを治めた巫女、私の中ではどうもこれらの巫女は同じ人(神?)なのではないかと思っている。

川端康成の「大和は国のまほろば」の歌碑に立つと眼前にちょっとした森が見える。これが箸墓とよばれる前方後円の大古墳である。宮内庁は箸墓を「モモソ姫」の墓と認定し管理している。近くにある崇神天皇陵や景行天皇陵と比べてもそん色はないというよりも大きいくらいだ。なぜホトをついて亡くなった巫女の墓が天皇陵よりも大きいのか、かなり大きな謎である。しかし天照大神と大国主神を別々のところに移っていただき、疫病の蔓延を治めたという国家的大業績を成し遂げた巫女ならば納得がいく。

近年この墓がヒミコの墓ではないかとの資料が集まっている。地元ではすでにヒミコの里として売り出しにかかっている。なんとなんと、モモソ姫=ヒミコ であればヒミコは大物主神の奥さんでパンデミックを抑えた功労者となる。魏志倭人伝にはヒミコはヤマト国の女王としている。ヒミコが箸墓の主とすれば、その巨大さの理由は明確に説明できる。私はモモソ姫が実はヒミコと呼ばれる巫女だったという説を提出したい。

ところで、私はヒミコ、ヤマト国とカタカナで書いた。「卑弥呼」「邪馬台国」という文字がどうも私は気に入らないのだ。中国では海の向こうの「邪悪な国の卑しい女王」と貶めてこんな字を使ったのではないか。中国語に詳しい友人に聞いたら「音を表しただけで、そんな悪意はないんじゃない?」
という。
しかし日本の文献『日本書紀』には「卑弥呼」や「邪馬台国」という卑しい漢字は使われていないという。学者以外私たちは「魏志倭人伝」などに縛られることはないのではないか。私は「日巫女」としたいところだが、エビデンスはないのでとりあえずカタカナで書くことにしている。邪馬台国は「やまとこく」でいいのにわざわざ「やまたいこく」などと言わなくてもいい。このあたりで私はかなりの国粋主義者になっている。

神さまの名前がたくさん出てきた。これまでの話に出てきた神様を一覧表にしてみた。モモソ姫がかなり重要な位置を占めていることがなんとなくわかる。天皇については神武天皇と崇神天皇は同じ人物で、前半生を神武天皇、後半生を崇神天皇とし、第2代から第9代までは架空の天皇であるとする説に従っている。私は架空ではなく、この8代は別系統の天皇だと考えているのだが。

とりあえず三輪山の神様、巫女様をながめて、次回は出雲に向かうことにする。
第6章で再び三輪山が出てくるが、とりあえず第1章「三輪山は不思議な山」の項目は終了!