金井シゲさん ラジオに!

10月6日(月)  シゲ節は健在!
 4日の土曜日、NHKラジオの番組にわれらの仲間の金井シゲさんが出るという連絡を受けたので、携帯用のラジオをもって高尾山に出かけた。1時半から山根基世さんの司会で始まる番組だった。

NHKアナウンサーを相手にいつものように小気味よい「そうなのよ!」のシゲ節が炸裂していました。生放送なので、ベラルーシをベルラーシと言ったことにすぐに訂正の電話やFAXが入った。世の中にはつまんないことに目くじらをたてる人が多い。シゲさんの話を聞いていれば、そんなことはどうでもいいことなのに!

 50歳をすぎて、勤めを辞め、正味10年間で119国を旅をしてきた。先日もアイスランドからグリーンランド、そして突然ボルネオ島を経由して帰ってきた。シゲさんの旅の秘訣3箇条が大変よかった。
第1に「お金を使わず時間を使う。そうすればいろんな人と出会えるのよ」うん!その通りだ。
その2「自分の足を使う。そうしたらたいてい誰かが助けてくれる」まさにその通り、私も実行している。
第3は「自分の主義をし押しつけない」、
 その地にはその地でのやり方があるのだから「こうした方がいいよ」などというよけいなことはいわない。旅人はおじゃま虫なのよ。これもその通りだ。自分がよいと思っても、他の人によいとは限らない。おじゃま虫はだまってそれを見ていることが大事なのよ、と。

 走りながら聞いていたので、大筋しかたどれないが、まあこんな内容だったと思う。ほぼ1時間半、NHKのベテランアナウンサーを相手に、存在感を示したのだからすごいタレントだ。
 シゲさんの話に、相づちを打ちながら、自分の足で陣馬山からの復路を快適に走った。いつもよりはるかに早い時間で、高尾山口にもどることができた。シゲさんの言葉は、ものすごい応援歌だ。

ラフカイに会った!

10月2日(木)

今月の25日から26日にかけて、奥多摩の24時間耐久レースがあります。武蔵五日市から奥多摩の山々を上り下りしながら、72kmの距離をいくというなかなかのコースです。今年は地平線会議の江本さんが、「体力さえあれば知力がついてくる」などと前途ある若者をおだてて参加させることにし、コーチ役を買って出ています。江本予想によると、若者組は23時間内外で完走するものの、三輪は「気まぐれで、リタイヤ」だそうです。

 「なんということだ!」 と憤慨しましたが、まあ、かなり当たっています。フリーターになってからは「まっいいか!」という気分がつきまとい、ちょっとでもきつくなったらすぐに止めてしまうようになっているからです。

 しかしトレーニングは結構やっているのです。なにせ新宿-高尾山口の回数券を買ってるぐらいですから。若者の藤岡くんのタイムをみて、まあまだまだ追いつかれることはないなあ、と思いながら昨日はトレーニングコースの高尾山口を後にしました。水場まで36分、小仏峠1時間ちょうど(城山は登らず)、ここまでは快調だったのですが、明王峠1時間48分、陣馬山2時間8分と目標の2時間以内を達成できません。まっいいか!

 昨日は、元に引き返さず、和田峠から関場に下り、前回地平線会議で話をしてくれた田中家を尋ねることにしました。前回のヒーローは田中くんより犬のラフカイでした。このあたりのことは地平線会議のHPを見てください。そのラフカイにもう一度会いたくなりました。関場から2kmほど上流と聞いただけで、住所も、電話も知らなかったのですが、そのあたりで「オオーイ、ラフカイ」と叫んだら、すぐに田中夫妻が「みわさんだー」といって出てきました。

 私は人を(犬も)訪ねるときは、なるべく遠回りし、自力で時間かけたりするのが好きです。その間ずーっと思いを馳せていられるからです。昔は電話も車もなかったので、突然歩いてあらわれるしかなかったはずです。今の時代、予定がいろいろある相手の方には迷惑でしょうが、私はちょっとだけでも顔をみればそれでいいのです。それまでにいろいろ思いめぐらしながら、歩いて来たのですから。

 ラフカイに再会して、コーヒーをいただいて気分良く夕焼け小焼け公園もで駆け下りました。こんなときの走りは、うれしくて、顔もほころびます。もし周りで見ている人がいたら、気が触れてんじゃないの? と思われるかも知れません。ちなみに田中夫妻は獨協大学の犬井正さんの教え子なのです。

FM電波異常と地震襲来

9月22日(月)
 台風も通過したようだ。台風一過とはいかないぼんやりした空模様だ。急に寒くなった。つい先日までの暑い夏が嘘のようだ。夏から秋へこんなに急に変化した年は、最近なかったように思う。やはり異常気象なのか! 

 そんな環境異常につけ込むようにテレビでは大地震襲来富士山大爆発など、人を脅かすような番組をやっている。地震の前兆としてFM電波の以上反射があるという。八ヶ岳の観測所で今年初めから電波の異常が続いているという。これまで阪神大震災を初めとしていくつも地震の前兆をこの観測所では捕らえている。今回はかなり大きそうだというのが、番組の根拠だ。

FM電波異常と地震との関連はありそうなので、警戒を呼びかけることは必要だろうが、テレビ番組で恐怖をあおるのはいけない。テレビ局は大災害が起こるのを期待して待っているのがありあり見える。地震は必ず来る。対策をしっかりやることしかできないのだから、そのことをきちんと伝えて、行政に対して警鐘を鳴らすような番組を作ってくれ。とぶつぶつ言いながら、この番組を全部見てしまった。

 みわ塾のテキストを今日やっと pdf でアップしました。ベトナムで通信受講者がいるので、毎回テキストをアップしておかないと怒られます。テキストでは今回の田口さんのお土産、「馬乳酒」の味を入れることはできませんでした。ゴメン! 
ところで、受講料を受け取りに近いうちに行きますから、ベトナム勢は準備をしておいてください。

 みわ塾をはじめたら、いままで音信不通の方々が尋ねてくれるようになりました。反応の大きさに驚いています。清瀬の卒業生の坂元恭子さんに、ブッチこと松田恵子さん。うん十年ぶりですが、すぐに思う出しました。まだ忘れないでくれたこと感謝! 藤沢祐誠くん、ブッチを覚えているかい?

 わが大先輩でありながらわが生徒の真嶋さんの案内で、拓殖大学の公開講座、桐生稔先生の「ミャンマー情勢」を聞いてきました。なぜビルマからミャンマーになったのか、軍政とスーチーさんの関係など歴史的視点からの現状が少し分かりかけてきました。

仏教と現状についてどなたかの話を聞きたいのですが、そんな講座をどなたかご存知ありませんか? 

ホテイアオイ 

2003年 9月18日(木)

夏の間、トレーニングをする機会が少なかったので、かなり身体がなまっていた。体重は3kgぐらい増えてしまった。そろそろ元に戻すことを考えなければ・・・・・・。

朝急に思いついて高尾山に足を向けた。平日の高尾山は静かだが中高年夫婦ばかりだ。景信山をすぎて陣馬山にかかるころ、向こうからご夫婦がやってきた。わが先輩の平井ご夫妻だった。平井さんは最近日本100名山を完登した。11月に完登のお祝い会をやることになっている。

 私の調子はまだまだで、陣馬山からそのまま下山。沢に出た所で、服を着たまま滝の下にとびこんだ。夏の沢でも水浴びは最高。元気を回復して、夕焼けこ焼けの里まで走り下った。そこで乾いた服に着替えてバスを待っていた。そこへ、陣馬の下りで一緒だったおじさんが車で追い越ついてきた。目があったら、「乗っていく?」というので、「ありがとう、お願いします」高尾の駅までヒッチハイクで到着。

 家に帰ったら、我が家自慢の常滑焼きの金魚鉢の「ほていあおい」が咲いていた。ほていあおいも一日花。ここのところ一夜花、一日花に追っかけられている感じだ。早速デジカメで撮ってみるが、デジカメは今ひとつビシッと決まらない。

こんにゃくの花

9月15日(月)敬老の日
 丸の内朝飯会は月に2回、東京駅ステーションホテルの2階食堂で行われています。前に来たときには若い人が多かったのですが、今回はかなりの年輩の方が目立ちました。

ミャンマーに思い入れがある人たちも多かったようで、あとからいろいろ話を伺いました。スーチーさんを監禁したままの軍事政権の国であることも質問を受けました。こういうやり方は当然非難を受けるべきことで、民主化を進める必要があります。

 しかし今のところ私にはどうしようもありません。ミャンマーの人自身で解決をするはずです。一般の人々の生活力はたいしたものです。どんな状況でもそれぞれ目一杯働いています。大きな力で一気に決着をつけようとしても、なかなかうまくいきません。下手に手を出すことをせずに、見守る方がいいのではないか、と答えましたが、皆さんに納得がいったかどうかは不明です。
 

ところで話は変わって、昨日小石川植物園に「こんにゃく花」を見に行きました。ミャンマーではこんにゃく専門家の馬場さんが毎日のように熱帯林の中から「こんにゃく」を見つけていました。熱帯原産のこんにゃくは時々花を咲かせるのだが、それはとてつもなく巨大だ。という話を聞いていました。インターネットに小石川植物園で「こんにゃくの花がさいた」と言う記事が出ていたので、早速飛んでいきました。NHKの昼の番組でも放送したそうで、温室の前には長蛇の列ができていました。この花は10年前にインドネシアのスマトラ島から種をもってきて撒いたもので、花が咲くのは日本でははじめてと言うことで、大変珍しいのだそうです。1週間は臭いにおいを出して虫を呼び寄せるのですが、その後はしぼんでしまうそうです。高さは3.18m、花の大きさは1m以上もあります。しばらくはこの希少植物の花をみんなに触れ回ろうと思っています。 こんにゃくの花の名前は「アモルフォファルス・ギガス」で世界一ノッポの花です。

丸の内 朝飯会

9月10日(水)
 丸の内朝飯会というのがあります。丸の内あたりに勤めるサラリーマンが朝食を共にしながら異業種交流をやろうということから生まれた会合ですが、もう30年以上も続いています。

10数年前にも一度呼ばれたことがあるのですが、今回(11日)にまたよばれました。わが地平線会議と同じように謝礼などありませんが、朝食代はタダです。(最近、地平線会議でも講師の皆様には北京亭でごちそうできるように成りました!) 

今回はミャンマーのマングローブ林について話すつもりです。いまそのためのスライドを作っています。結果はまた報告します。

みわ塾 緑陰講座

9月9日(火) 
  「みわ塾」緑陰講座も楽しく終了しました。珍しく星空が見えたし、飯盛山もコースタイムの2倍ぐらいの時間をかけてスロースローで登ったし、中山嘉太郎さんのシルクロードの話もおもしろかった。

近くに天然イワナのホウ葉味噌焼きを出してくれる店を見つけた。ご主人は悠長な人で注文してからイワナを釣りに行くのではないかと言うぐらいのんびりしている。近所の人に聞くと
「待たせるからだれも行かないよ」
という。スローライフの時代にピッタリの店だがはやらないだろう。

清里の竹早寮理事長の岩田隆子さんの話に感銘して、今回7人もの人が賛助会員になってくれた。
馬場さんは「私は三男だけど、さんじょ会員だ」などといつものダジャレで応じてくれました。来年もここで緑陰講座をやることに決定。来年は日時を変更しないように致します。今年日時変更で参加できなかった人にお詫びいたします。

 ところで、本日よなよな空を見上げると、まんまるお月様のすぐ下に火星がちょこんとくっついていました。こんなに近くにくっつくことはなかなかありません。見とれていたら火星は左下から右下に移動していきました。火星の方が小さいので移動性しているように見えますが、実は大きな月が動いているのです。なかなかおもしろい天体ショーでした。

8月のみわ塾 清里

2003年9 月4日(木)

2日にミャンマーから帰ってきました。明日からまた八ヶ岳です。八ヶ岳の「みわ塾」は8月の最終週にやるはずだったのですが、ミャンマー行きと重なってしまったので、1週間ずらしました。

そのために予定していた方々からお叱りをうけました。申し訳ありませんでした。
 今回の「みわ塾」は小規模になりましたが、金井しげさん、中山嘉太郎さん、向後元彦、紀代美ご夫妻、下島伸介さん、などなどその道の第一人者が集まって下さいます。ありがたいことです。9月の「みわ塾」は、今回の分も含めて余談時間を入れます。
 ミャンマー報告は、8月のページに入れました。

8月18日(月)
 成田、バンコック経由でミャンマーの首都ヤンゴンに6時頃につきました。日本との時差は2時間半という半端。ヤンゴン1の高級ホテルの隣のホテルに泊まり、翌日は向後さん主催のACTMANの協力者であるFREDAの事務所に行き、ごあいさつ。ここは森林局のOBが主催している実力派NGOである。

午後は早速ヤンゴン市内のマングローブ林を見るために、新しく作られている民族村に行く。ソネラチアというマングローブにピンク色の花が咲いている。この花は月下美人のような一夜花で、コウモリが受粉するという。これを見た人はごく少ない。

 翌日は貨客船でヤンゴン河を下ってボガレーという港町に泊まる。電気の普及率はごく少数なので夜は真っ暗。自転車にサイドカーをつけたサイカで町内見物。カレッジもある地方の中心都市だ。ビールが飲めるレストランもある。

 20日、FREDAの専用ボート(10人乗り)でさらに河口の村をめざす。途中で雨風が強くなり、本流の横断ができないので、小さなクリークに入って待機する。こんなこともあるのでボートには食事も用意してある。波の静かなマングローブ林の下での食事は、まさにスローライフの見本みだ。

今回はスローライフの提唱者の辻信一さんも一緒だ。夕方河口に近い島にあるFREDAの宿泊施設に到着。今は雨季なので必ず雨が降る。洗濯してもまったく乾く気配はない。電気はないので、2時間だけ自家発電。雨水をタンクに貯めた水がシャワー。茶色に色づいている。

 21日、各地にあるマングローブ林再生プロジェクトの試験地を舟で見に行く。クリークには大型船は入れないので、小舟を使う。板を渡しただけの舟つき場から試験地までは水に浸かっているか、グジョグジョのみち。長靴は必需品だ。地元の人はゴム草履かハダシはだし。私もしばらくするとゴム草履に変わった。ここのマングローブは100種類ほどあるそうだ。私が識別できるのは、そのうち3種類ぐらいだ。ニッパヤシがマングローブの一つだとは知らなかった。

 22日、一息入れるためにレクリエーション。湿地帯に行って泳ぐ。水の透明度は5㎝ぐらいで、ドロが重そうに淀んでいる。底はヘドロで、体になすりつけるとドロンコ美容法になりそうだ。においもないし、ガラス片など文明物は全くないので、きれいなヘドロだ。

アンダマン海にも行ったが、ここも茶色く濁った重そうな水の海だった。ギリシャの哲学者ターレスはすべての源は水であり、水が土地を生むと言った。この水を見ていると確かに川が土地を生んでいることが分かる。

 FREDAの宿泊施設は、2カ所あり後半泊まったビョンムエ島の施設は我々がはじめての泊まり客だった。水上に浮かぶすばらしい施設で、しばらく止まっていたい場所だった。しかし乾期になると水がないので生活はできないとのこと。周りは水に取り囲まれているのだが、飲み水になるものは雨水しかない。この地域では、きれいな水の確保が最大の課題なのだ。

 30日まで、マングローブ試験地を見学して回って、再びボガレーに戻ってきました。田舎町と思っていたこの町が、この地域ではとてつもなく大きな町であることが分かりました。

そこからさらに大きなヤンゴンの町を経由して2日に東京に戻りました。
 体も荷物も着るものもすべて湿けってしまい、異臭を放っています。「東京は暑いゾ」といわれましたが、イラワジ河口に比べれば、気温も低くカラッとして過ごしいいものです。

とりあえずイラワジ河口で楽しい思いをしてきたことを報告しておきます。詳しいことはまた、のちほどマングローブ研究家のコーナーに載せます。

明日からミャンマー

8月17日(日)
 あすからミャンマーへ行きます。イラワジ川の河口のマングローブの生態をみて、植林のお手伝いをしてきます。一番大事な持ち物は「長ぐつ」です。帰ってきたらまた報告をかきます。しばらくお休みです。

今日は終戦記念日

8月15日(金)
 今日は終戦記念日。あの時から自分の年齢マイナス1の年が過ぎました。もう戦争はしませんとその時に、みんなで誓ったのに、今では戦争に加担することが国際協調、国際正義のような風潮が広がっています。正義は大事です。しかし自分だけ独りよがりの正義は、ただの思い上がりです。もちろんフセインが金正日が正義だとは言いません。イラク、北朝鮮をみると、爆弾を落として叩きつぶしてしまうことが最良の方法のように思えます。おそらくその国民にとってもいいことなのでしょう。

 しかし振り返って、58年前の日本を考えるとき、日本の軍部を叩きつぶすために東京に大空襲をし、広島、長崎に原爆を落とし、多くの人たちを犠牲にした戦争を容認できるかと言えば、当たり前のことですが、「否」です。戦争を始めたのは日本軍ですが、原爆は早く戦争を終わらせる手段だったとの抗弁は納得できるはずはありません。ここには一人一人の人間に対する尊厳、思いやりは何もありません。最近の戦争は精密誘導爆弾を使うので、犠牲者は少なくないというけど、発想は今までと同じで、人間を一まとめの「もの」として見るだけで、「人々」と考えるという発想はまったくありません。

 戦後58年の今、個人を大事にするといいながら、ドンドン反対の方向へ動いています。テレビでみると政治家はみな「平和、平和」と安易に言葉を発します。しかし実体の伴なわない言葉はむなしく響くだけです。

 ところで「それではお前は?」と答われたとき、いま自分の言葉も上滑りしており、反省せざるをえない状況です。私の場合何ができるかと言えばマラソンしかありません。それが世の中になんの役に立つかはまったく不明です。でもみんなで気分良く走っていれば、戦争をしようという気にはならないことだけは確かです。これからも走りながら言葉を発しようと考えています。ただの徘徊老人にならないよう、発信もし続けます。

8月12日(火)
 ニューヨークで大停電になったという話だが、わが北海道の豊富でも停電が起こった。30分間だったが、ちょうど搾乳の直前だったので牧場はパニックになった。家の電話は通じない、携帯電話は圏外なので通じない。情報を得る手段はない。しかしここが停電して困っていることを電力会社に連絡しないと、復旧をしてくれない。

 いなかで人は少ないからのんびりしていると思われるかも知れないが、こんな場所だからこそ電気が必要なのだ。搾乳ができないと牛は病気になる。猶予はできないのだ。町に出ている長男は、ふだんは学校が終わると電話で迎えを頼んでくる。電話が通じないと、どうにもならない。時間が分からないがヒマな私が車で迎えに行く。

 しばらくして復旧したが、奥さんは「ときどき忘れられてしまうの」と言う。わずか五戸しか集落なので、全体が復旧してもスイッチを入れ忘れらることがあるのだそうだ。

 ニューヨークも大変かも知れないが、こういう僻地ほど大変な状況になることを知ってもらいたいものだ。

豊富の草原を雄次郎と走る

8月9日(土)
 北海道北部は毎日どんよりした空で、ときどき雨も降ってくる。真夏なのに寒い。利尻島に行こうと思ったが、台風も接近しており無理だ。そこで田中裕次郎家の次男のSくんを連れてマラソンをすることにした。彼は中学3年で陸上部に所属している。するとお父さんが「おれもいくぞ」と言う。毎日朝早くから牛の世話をしているので、疲れているはずだ。しかし昔からの習いで、とっさの判断でともかく何にでも参加するという行動は健在だ。

 大規模草地一周は24キロあるという。Sくんはまだ10kmしか走ったことがない。長距離走は経験だけがものをいう。アップダウンがある10kmをSくんは快調にとばす。お父さんは体が重くドタドタと、馬力だけで走っている。中間地点の展望台では2、3分の差があった。長く休むと体が冷えるので、後半にかかる。Sくんにとっては未知の距離である。お父さんは今でこそドタドタだが、若い日には日本縦断をした超ウルトラランナーである。経験の差が出てくる。大規模草地を出るころ私についているのはお父さんだけになった。Sくんは歩き始めているようだった。

 お父さんは、一度はみわを負かしてやろうと思っていた、これがチャンスだと思い必死で走ったのだと後で聞いた。私もその迫力を感じたので、負けてはいられない。あと4キロの上り坂で懸命に走ると、ついてこれなくなった。それでもお父さんはSくんに大差をつけて完走。自転車で見に行くとSくんは「気力がなくなった」と歩いている。

 「もう走りたくない」と言わせてしまったら、教育としては失敗かも知れない。でも理不尽にひどい目に遭うのはいい経験だ。来年になったらきっと20kmくらいは難なく走っているだろう。

北海道 チャリの旅

千歳空港から札幌までの道
8月5日(火) 北海道
 8月の9日10日に玉原高原でキャンプがあることになっていた。前橋の小林番長、写真家の星野さん、星野兄さんたちが中心となって、豪快、はちゃめちゃのキャンプだ。今年も参加することにしていたが、7月末、北海道で卒業生が私の退職祝いで集まってくれるということになっていたのを思い出した。星野さんにお詫びのメールを入れ、北海道にヒコーキで飛んだ。
 玉原組のみなさん、どうもごめんなさい!

 新千歳空港から列車で北広島駅まで行き、そこから持ってきた折り畳み自転車で走りはじめる。始発のヒコーキだったので、10時半には札幌テレビ塔につく。高校時代の友人を呼びだし、昼飯をごちそうになる。昼食後、再び自転車で円山西町に向かう。そこにはアメリカ大陸横断、ヨーロッパ大陸(リスボンからモスクワまで)を走ったウルトラランナーの武石さんが引っ越しているはず。突然の訪問に奥様ともども歓迎してくださる。森の中の野趣溢れる庭でバーベキュー。とても食べ切れない量なので、近所に住む卒業生の大熊さんを呼んで、一緒にごちそうになる。満腹になり酔っぱらって、大熊さんのお宅に泊めてもらう。中央区といっても盤渓は山の中。キツネやリスがいる。

 6日は自転車で幌見(札幌を見下ろす)峠を越えて、町中へ。天気もいいのでそのまま豊富の牧場に向かうことにする。バスの待ち時間があったので、北大に寄ってみる。環境科学科の平川教授は結構ハードなウルトラランナーで、ライバル関係にある。ちょうどスイスから帰ったばかりで、ラッキータイミング。しばらく話をしてからオロロンライン経由のバスの旅。

苫前の風力発電の風車に見とれながら幌延へ。ここは高エネルギー放射能廃棄物の処分場ができる所だ。
 道路や役場はよくなっているが、町は寂しい。放射能廃棄物処理場の風評で農作物は売れない。補償をもらって早く離れた方がよさそうだと考えるのは当然だろう。お上はそれがねらいかも知れない。「リサイクルセンター」という看板からは放射能リサイクルだとは分からない。姑息なやり方だ。ここから折り畳み自転車で豊幌の「あおそら牧場」に向かう。夕暮れとの競争になる。暮れてしまえば周囲数キロに人家はないので、真っ暗闇になる。誰も通らない暗闇の道路は恐ろしい。明かりがかすかに見えたときにはホットした。

地平線報告会284回目

7月31日(木)
 一昨日は地平線会議報告会の284回目、最近はもっぱら新宿区の榎町地域センターで行っている。設立当初から20年間アジア会館で行っていたが、建て直しになるので、ここ数年一時避難のつもりで新宿区の施設で開催してきた。地の利がよかったのと丸山さん労作のホームページが新たな媒体として機能し始めたことで、アジア会館の時に比べ、参加者が飛躍的にふえた。

関野さん、石川くんの会は100人定員の会場に200人以上は集まり、会場の係りに文句を言われた。ここのところコンスタントに60~70人の人たちが参加してくれている。

 報告形式もこれまでスライドを使って話をすることが主流だったが、若い報告者が多くなったせいか、液晶プロジェクターで、デジタル映像を使うことがほとんどだ。地平線会議唯一の財産であったスライドプロジェクターが壊れたところだったので、3月から液晶プロジェクター(本当はDLPプロジェクター)に変えた。NECの製品で売値は99万円だったが、秋葉原の裏通りで12万円売っていたのを即座に買った。大成功だったと思っている。

 今回の西牟田くんもパワーポイントでの発表だった。ここ数年間彼は日本が過去に占領をしていたサハリン、満州、台湾、南太平洋の島などを回っていた。私の無鉄砲な奴だという印象を持っていたが、それぞれの地を訪れ、出会った人たちに話を聞く態度は大変真摯なようすだった。日本の近代史に直面して懸命になにかを考えている姿はすばらしい。西牟田くんの報告は地平線のホームページにくわしい。

 ここのところ私のホームページのリンクが外れているという苦情がいくつかあった。あっちこちの小容量のサイトに押し込んでいるので、アップするときにリンクのはずれが出るらしい。昨日一日かけて整理し直したので、たぶん大丈夫のはずです。ヒマになったはずなのに、結構忙しい。これじゃこまる。・・・・・・・きょうで7月もおわり。
8月はあっちこちに出かけるので、パソコンに向かう時間がなくなりそうだ。