先日動画を入れましたが、容量が大きくて見ることができないと聞きました。今回は写真を入れます。
事前に申合せ(練習)もありました。
先生からご指導を頂きました。本番では間違いもなく、うまく舞えたそうです。
次は傘寿の記念と思いますが、そこまで体がもつか、思案のしどころです。
新宿御苑に行って来た。新型コロナが再び拡大しそうな状況だが、ソーシャルデイスタンスを保ち、マスクをすればほぼ感染することはない。それは多くの専門家の言うところだ。新宿駅周辺の混雑を避け、バスで新宿高校脇に行く。昔新宿高校は御苑と塀を隔てたt頃にあったが今は新しい道をが校庭を突っ切っている。もともと狭かった校庭はないに等しくなっている。もう少し若者の居場所を整備してやらなければいけないだろうに。などと思いながら250円払って入場。
パンフレットには Physicals Distancing と書いてあった。Social Distance よりもこちらの方が普通の言い方のようだ。
入るとすぐに満開の十月桜に迎えられた。その後温室に入る。今はちょうどしょうがの花が咲いている。しょうがにこんな花が咲くのだ。入り口にあったダリアに蝶々がとまっている。写っているかな。中に食虫植物のウツボカズラがあった。
温室の中ではオオオニバスが今盛り。多くのカメラマンがそばに寄っている。我らはちょっと離れたところからとってみた。なかなかすばらしい。
花には大勢のカメラマンが集まっているので、私は珍しい葉っぱの写真を撮った。今回はスマホを使って撮ってみた。これまでうまく撮れなかったのは手振れを防げなかったからだ。杖兼用一脚を使ってみたら案外うまく撮れていた。
バラ園脇のベンチで距離をとってあんパンを食べてから外に出て、渋谷川の源流になる小川の脇にある多武峰神社に行く。ここにはなかなか面白い狛犬がいる。なんとなく笑っているような微妙な顔をしている。
新宿御苑の芝生には大勢の人がいるが、みな Physical Distancing をとっている。これなら感染は広がらないだろうがすぐ近くの繁華街では密の場所でマスクをしないで騒いでいるという。こりゃまずい。どうすればいいのかわからないが、とりあえずは自分はかからないように自衛するしかない。でも引きこもっていてははじまらない。
先日FBで安倍総理が辞任したことが安倍政権最大の功績と書いた。その後菅内閣が誕生した。麻生さんは「かん」総理と言っている。マスコミは間違えたというがたぶんわざとだろう。しかしそんな意地悪ジイサンを再任させたというのは断末魔の「アベノミクス」の責任をとれという菅さんの意地だろう。第5次安倍内閣と揶揄する向きもあるが、菅総理は安倍元総理よりも遥かに優れていると私はみている。支持率60%以上もあるというのはダメ安倍を脱却して、まともな政治にしてくれるだろうという期待だろう。
組閣わずか2日で安倍政権というか日本の最大の弱点だったデジタル化を一挙に進めようという意欲がよく見える。新型コロナで表面化した弱点、例えばPCR検査は手書きFAX送信、在宅勤務なのにハンコ行政、10万給付は手作業、マスク調達に何百億円などなど。韓国、台湾などでもIT大臣が迅速に作業をこなしているのを菅さんは指をくわえて見ていたのだろう。日本のIT大臣はハンコ連盟の会長のジイサンだった。作業が進むわけはない。ここ一点を突破してデジタル先進国の仲間入りをしようというのだろう。いつまでも桜、モリカケなんかに構っていられるか、ということだろう。
私もモリカケ、桜はもう司法の手にゆだねた方がいいと思う。国会での優先論議は安定社会の構築にあるだろう。誰がやっても難しいが、少なくとも安倍総理の失敗を見ているので菅総理の方がうまくやるだろうことは期待できそうだ。デジタル化の第一はマイナンバーだという。国民皆にナンバーをふって住民票、銀行口座、税金データを紐付けておけば10万円給付など即日にできる。位置情報は逐一わかるから夜の街で飲食していることもすぐわかる。災害時にはすぐに救助に向かえる。何よりもこれがあれば税金逃れができない。ローン破綻しそうな人には警告もできる。
マイナンバーで国民を管理すればコロナ禍でも迅速に隔離、治療ができ社会的な不安を除くことができる。怪しい人はみな隔離してしまえば犯罪はほとんど起きない。みんなが協力して全員がマイナンバー登録すれば理想的な社会になる。菅政府はこれを目指しているのだろう。ヨーロッパの国はほとんどこのシステムができている。もっとも徹底的にやられているのは中国だろう。あれだけとんでもないパンデミックを発生させた武漢はもう平常に戻っている。あの国のことだからまだ隠蔽があるだろうが、対応が速く徹底的であったことは確かだ。
2年前に上海に数回に渡って旅行をした。まったくもって現金決済のない社会だった。何をやるのもスマホ操作で済んだ。スマホが使えない人はどうするのか質問したら、そんな人はいないとのこと。町に年寄りはいなかった。スマホの使えない老人は田舎に放り出されるらしい。スマホがなければ家から出ることはできない。町で同じような年齢の人がいないので、私は電車やバスではいつも席を譲られた。町中には路上生活者もいなかった。田舎に行った時に物乞いがいたが、彼らもQRコードを持っていた。日本に帰ってからコロナ禍の上海にいる知人が知らせてくれた。「あなたが昨日乗った地下鉄にコロナの陽性者がいたので、今日から会社には行かず2週間自宅待機するように」という警告がスマホに送られれきたそうだ。翌日から家にいないと再び警告が来るという。全員の位置情報が把握されているので、謹慎しているかわかっているのだ。スマホなしで出かけたら、電車にも乗れない、お店で買い物にもいけないから、言いつけを守るしかない。現地の人たちは「中国は世界で一番安全な街だよ」という。現地に住む日本人も「政府に反対さえしなければ世界で一番自由で安全な場所です」という。
菅さんだけじゃなく、政治家は自分の命令は国家のために良かれと思ってやっていると思っている。自分の言うことを聞かない人は不利になるが言うことを聞く人は施しがいくらでも得られるよ!安倍総理は中途半端なまま国家の私物化をしたのでいろいろぼろが出て嘘つきになったが、菅さんはそれをよく見ていた。デジタル化を一気に進めて政府が一元的に国民を管理できるようにする。そうすれば政府は国民の顔いろをうかわなくても計画的に政策を勧めることができる。国民は健康不安や犯罪不安も消え、税金の不公平感もなくなる。これで国民も政府もウィンウィンの生活になる。すばらしいじゃないか。???
日本中に監視カメラがあり車にはドライブレコーダーがついているので犯罪者はなかなか逃れることができない。昔は多くの人がプライバシーの侵害と批判的だったが、今はみなありがたがる。マイナンバーも今は反対者が多いがコロナ禍で一気に保持率が上がるだろう。私も外国資本のLINEやFB、ペイペイなどよりも日本政府の方を信用したい。しかしみんながウィンウィンになるというのは、「いつもニコニコ現金払い!」で生きてきた人間としては信用できない。私はスマホを持っており大いに活用はしているが、お金の支払いはプリペイドの Suica だけだ。
先日免許証の書き換えの前に行う高齢者認知試験をうけてショックをうけた。76点以上が合格なのだが自信を持っていた私は78点で本当にすれすれで合格。これじゃもう運転はできないとあきらめたところだ。我々年寄りはスマホ決済では騙されること必定である。私はマイナンバーが法律で必要になっても、しばらくは様子を見ることにする。その間に命も消滅するので、結局はマイナンバーの恩恵は受けることはないだろうが。
社会は徹底すればいいというものではない。中国のようになったら、小さな自由と安全は得ることができるかもしれない。しかし自分の分身(プライバシー)を人質に取られた中での自由というのはいったいなんだ。それは不自由、また分身がいつ抹殺されるかもしれない恐怖、それは安全とは言えない。私の思いは、高速道路のETC方式だ。あれだけ旗振りをしたが、いまだにETCカードを持っていない人たちがいる。全員ETCにすれば効率はいいが、まあ何%かはそのシステムに入らない。徹底しないのは政府にとっては不都合だろうが、我々にとっては好都合。
社会というの一か八かではなく、適度なところで均衡を保つということが必要なのだろう。最近亡くなったKさんが「楕円の哲学」という文章を書いてくれた。中心が一つの円周は1つしかない。楕円は中心F(焦点)が二つあるので円周はいくつも描ける。その楕円の焦点F点と円周の点Pをバランスよく動かすのが政治である、と言う。まさに菅さんに知らせたい言葉だった。
最近天気予報のお姉さんがしばしば「すすき梅雨」という言葉を使っている。夏から秋の涼しい空気に変わるときに前線面に沿って雲が湧き雨が降ることが多い。この時期の雨は昔「秋霖」(しゅうりん)あるいは「秋雨前線」という言葉を使っていた。「すすき梅雨」という言葉は昔からあったのか? 広辞苑で調べて見たらちゃんとあった。私が知らなかっただけなのだろうが、昔のテレビの天気予報で聞いた記憶はない。いつのころから天気予報は「すすき梅雨」になったのか、どなたか教えて欲しい。
実は1986年から数年間私はさる会社のPR誌に「水の惑星地球」という連載をしていた。古川タクさんがすばらしいイラストを描いて下さった。40年も前のことでまだボケてはいなかった頃だから、雨という言葉を国会図書館などに行って徹底的に調べたはずだ。しかしこの連載の中には「すすき梅雨」は入っていない。その時の私の調査は足りなかったのか、あるいはこの40年の間に出てきた言葉なのか? 悔しいのでいま懸命に調べているが、ぼけてきて調査能力が下がってしまった。どなたか、教えてください。
記事(1986年)
さて、我が雨民族は前述の例のように、季節を特に重要視する俳句という詩の形式を発展させました。雨に関しても四季を通じてさまざまな言いまわしをしてきました。
春は春雨、春時雨、菜種梅雨、春霖、梅若の雨
夏は筍梅雨、梅雨、梅霖、五月雨、夕立、虎が雨
秋は秋雨、秋霖、洗車雨、秋時雨
冬は時雨(小夜時雨、村時雨、月時雨) この中にすすき梅雨はない!
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ところで、半年間休んでいた「狛犬楽会」今月から再開します。以下のように始めますが、もう最初からミスです。9月27日ではなく9月26日(土)です。詳細はhttp://kazmiwa.sblo.jp/archives/20200910-1.html にあります。
自粛自粛でどこにも行けないが、9月に入ればもう三密さえ避ければ外出オーケーの様相になってきた。ということで「狛犬楽会」の探索会を再開する予定ですが、その前に気になっていた新宿歌舞伎町の鬼王神社に行ってきた。歌舞伎町こそが都内の最大クラスターでテレビでも何回も取り上げられている。最近小池都知事が話題にしなくなったのは、歌舞伎町のコロナは鬼王パワーで吹き飛ばされたからではないかな。 大久保村の氏神であった稲荷神と、熊野から勧請した鬼王権現を合祀して「稲荷鬼王神社」となった。大久保村の鎮守なので、歌舞伎町からはちょっと離れているが近年歌舞伎町界隈ではちょっとしたパワースポットとして知られている。ちなみに「鬼」を祭神としているわけではない。鬼王がだれか、だれも知らない。
この神社には二対の狛犬がいる。正面の狛犬は護国系の威張り狛犬だが、拝殿前の狛犬は阿吽ともに子育ての愛らしい狛犬である。もう一枚写真をならべてみる。向かって左側の「吽」の狛犬の子供の様子はよくわかるが、右の子供の狛犬の姿はよく見ないとわからない。お父さん狛犬のひげをしたからかじっているのだ。
この神社はわれら富士塚楽会、狛犬楽会では外せない神社で、裏手には富士塚がある。と言ってもかなりじゃけんに扱われており上半分と下半分が別々に置かれている。本来はもっと立派なものだったろう。写真を載せておきます。
9月1日、三密さえ避ければコロナにはかからない。総理もそういっているので、納得して狛犬探索を再開した。さっそく越中(富山)の一宮、立山の雄山神社に向かった。雄山神社は立山の3千mの山頂にあるが、すでに何回も行っている。今回は麓の岩峅寺の雄山神社前立社壇と芦峅寺の中宮祈願所である。ここも何回か来ているのだが前立社壇にすばらしい狛犬があることを知らなかった。狛犬探索は2016年ごろからだ。目に入っていたのに気がついていなかったのだ。
安倍総理はまたもや病気を理由に政権を投げ出した。病気と言えば皆さん優しいから、ご苦労様でしたと言ってくれるだろうことが見え見えだ。この先、コロナの終息は望めない。小池都知事の言う通りwith corona で行くしかない。10月にはオリンピックの中止を言わなければならない。「コロナに勝って完全な形で2021年にオリンピック、パラリンピックをやる」と大見えを切ったが、今回「コロナに負けて中止になりました!」と言うことだ。それだけはいやだったのだろう。
さらに株価だけは黒田日銀総裁の操作によってV字回復をした。しかし景気は昨年の増税の時からどんどん悪くなっている。コロナのせいにしているが、より構造的な原因だということに皆が気がつき始めている。アベノミクスが破綻していることがばれる前にやめなければ。失業者や貧困層がどんどん増えている。この人たちの怒りが政権に向かってくるのも時間の問題だ。
まだ理由はある。目玉政策のIR事業汚職で議員が逮捕された。口裏合わせの疑惑が出てきて再逮捕された。河井元法務大臣夫妻も捕まっている。この裁判も進んでいて有罪は確定的のようだ。となると政権幹部への追及も始まる。総理の身で聴取を受けるなんてできない。議員を辞めたらもっと追及が激しくなる。そこで総理はやめるが議員の特権をなくしたくないので、病気だががんばって議員は続ける。
もし後任が石破や岸田になったら、裁判にかけられるかもしれない。そこで同じ穴の狢(むじな)の菅に後を託すことにした。菅は実質安倍政権の管理者だから同罪のはず。自分が捕まるかもしれないような運営はしないという確信があるので、安倍総理は、意中の人だった岸田を外して菅になるように工作をした。そのとりまとめは麻生元総理が仕切ったと田原総一郎が言っている。なるほど。親中国派の二階幹事長の目を亡くす方向なのだろう。派閥の動きは見え見えでまるで田舎芝居! ゴメン田舎の人に失礼だな。
何はともあれ日本の道徳的危機が取り除かれたことに喝采を上げなければいけない。去る者に礫を浴びせるのは好みではないが、総理の重責に耐えることができない体なら、議員もやめなければダメだろう。議員に居座って後任ににらみを利かせようとするのは大変迷惑だ。後任の人は乱れきった政治道徳をもとに戻すのに大変苦労する。お目付け役がいたら改革はできない。
安倍総理は自分が傷つかないよう辞めることができるように周到に用意したらしい。その中に「コロナも終息し始めたから」という理由も述べられていた。私たちは、まだまだ大変だと思わされているが、巷に流される情報よりも何千倍も正確な情報を持っている権力者が言うことだから、たぶんまもなくコロナも終息するだろう。その時には称賛されるという道筋もつけられている。
三密を避ければ感染しない、ということはすでにはっきりしている。密になりそうだったらマスクをすればいい。昨日のNHKでもかなりはっきりと示していた。それを守らなくて感染すればそれは自己責任というにされそうだ。夏のコロナウィルスは弱毒化しているので、今のうちに多くの人が感染して、集団免疫をえれば、冬に強毒化したウィルスにかからないという説があるそうだ。嘘くさいが、現在の政府の政策はこれに近い。
たぶん冬には世界の貧困層の多い国々で獰猛なコロナウィルスが再び猛威を振るうだろう。しかし日本は安倍さんのおかげで、軽くすんだ、という希望的筋書きができているのだろう。そして日本はアンダーコントロールのもとにあるのでオリンピックは可能という筋書きだ。しかしWHOやIOCは、もう一年延期を提案するだろう。
もしトランプ大統領が再選されたら、オリンピック実施可能になっても「中国を排除しろ!」と無理難題を吹っかけるだろう。安倍総理ではこれを断ることはできない。今辞めておけばアベのび太はジャイアントランプの無理難題の被害を受けないですむ。まさに「辞める時期はいまでしょう!」だったのだろう。
連日東京都の感染者は400人を超え、小池都知事は自粛自粛を要請しています。しかし政府はGoToを推進中。安倍総理も広島の原爆慰霊に訪れてGoToを続けると宣言している。どちらをとったらいいのか素人にはわからない。都内から出ることは避け、GoToの精神をもって、換気のいい場所に行くことにした。奥多摩の御岳山に向かった。ところが我が同志は大勢いるようで、ケーブルカーに向かうバスは超満員、まさに「密」になっている。
そこでバスには乗らず多摩川の川辺の遊歩道を行くことにした。川には大勢のカヌーの客など川遊び。ここも三密はなくOK。私はケーブル道を避けて、古里の丹三郎から大塚山へ登るコースに変更した。川沿い遊歩道はすぐに通行止め。しかたなくバス道を4キロ歩き丹生(たんせい)神社を経て山に入る。丹生都比米を祀る神社なので「にう」神社だと思っていたが地元の人はたんせい神社と呼んでいる。
先日歩いたしか道とは違い里道なので緩やかなジグザグ登り。私の実力でもあんがい楽に登ることができる。御岳山へのまき道もあるが、私はゆっくりと大塚山頂上へ。荒れ果てた休み場があるが手入れができないなら撤去してもらいたい。大塚山を下ると見慣れた御嶽神社への参道に続く道になる。けっこう人が多い。目的の紅葉屋は大勢が並んでいる。
私が作った紅葉屋の90周年記念動画が影響したのかもと思ったが、youtubeの視聴者はまだ95回、そのうちの半分は紅葉屋のおやじさんが見ているというから、この宣伝動画の影響ではないようだ。でもこの不況の中、行列ができる店になっているのはうれし事だ。ここで若い山ガールのMAEDAさん一行に会い、天然かき氷を食べる。涼しい山で体が冷え冷えになる。
ここで別れる予定だったが、ケーブル駅は混雑していそうなの山ガールについて日出山からツルツル温泉にいく。入場制限をしているが、夕方近くになってきたのですんなり入ることができた。久しぶりのツルツルの湯。皆さんの美人度がさらに増したようだ。彼女たちはみっちゃんたちとは違って飲んべいではないので、すんなり拝島で別れ、西武線で帰宅。温泉に入ったのに8時には家に着いた。
諏訪上社の近くにこの史料館がある。建物は建築家の藤森照信が手掛けたもので、1991年に開館した。藤森はこの地の出身で守矢家の第78代当主守矢早苗氏と幼馴染であったことから依頼を受けて、ちょっと奇抜な建物を建てた。博物館なのでコンクリート造りだが外観は様々な細工が施され、地元の風景になじんでいる。
屋根を貫く木材は諏訪の御柱を意識している。内部に入ると壁面にシカの頭部、ウサギの串刺し、何十ものイノシシの頭部が展示されている。かなりグロテスクな感じがするが、昔の「御頭祭」の神事の時に行われたものを復元したのだ。1784年菅江真澄は御頭祭を見聞し、そのスケッチを残した。それをもとに復元したものだそうだ。
諏訪神社の祭神は出雲から逃れてきた大国主の息子のタケミナカタである。天照大神が派遣したタケミカズチ軍との戦いに負けて姫川を経由して逃げてくる。諏訪にはすでにミシャグシ神を祀る勢力があったが、タケミナカタに負けた。しかし諏訪上社の神事は昔のまま取り仕切ることになった。大祝は諏訪の現人神で、神事は守矢家が取り仕切った。守矢氏は縄文の昔からの神事を受け継いできたんだろう。実は守矢氏は近くにある守屋山の名前から推定されるように物部守屋と関係があるといわれている。こうなると古代史好きの人間にとっては想像がどんどん広がっていく。
藤森さんはこの建物を建てた後、背後にヘンテコな建物を建てた。高過庵(たかすぎあん)・低過庵(ひくすぎあん)・空飛ぶ泥舟(そらとぶどろぶね )である。高いのは茶室であるが実際に使われることはないようだ。
長野県の大鹿村を日本で一番規模の大きな大断層である中央構造線が通っている。構造線というのはプレートが押し合って地層が割れたりずれたりしたものだ。上の地図を見ると四国紀伊半島ではほぼ東西に延びているが、静岡県に入ると急に曲がって諏訪湖に北上している。曲がっているのはフィリピン海プレートが北向きに突っ込んできたからだ。
いずれにしても構造線は地層が壊れているので雨が降りこんでくるとグズグズになり、長い間に構造線に沿って谷ができる。ここ大鹿村を流れる川はみなグズグズで崖くずれ、土砂崩れが起こる。
中央構造線博物館から見える大崩れは「大西山崩れ」で昭和36年の集中豪雨で崩壊した。村民42名が亡くなる大災害だった。いま桜山になっている台地は山体が崩れた土砂でできている。当時の集落はこの土砂の下にあり、川の流れは大きく迂回している。 大西山の崩れよりもまだ大きな崩れは鳶ケ巣崩壊地で砂防工事をしているがあまり意味ない感じだ。ここは蛇紋岩(かんらん岩)地域で特に崩れやすい。
しかし地滑り、土砂崩れの地では土地が肥えていることが多いので古くから人が住んでいる。南北朝時代、後醍醐天皇の皇子の宗良親王は上蔵集落に流された。ここには福徳寺や松川家住宅など由緒ある文化財もある。こんな危ういところだが人々の営みは続いている。
HANAOKAさんは砂防の専門官、砂防ダムの見学にも行って来た。
伊那谷の西側に中央アルプスがある。その前衛に簫の笛山(1700mくらい)がある。登山道もついていないので登山ガイドブックには載っていない。その山でシカの食害を調査しているHANAOKAさんから、一緒に行かないかと誘われた。GoToキャンぺーンで東京人は嫌われているので大丈夫か?と聞いたら三密にならなければ大丈夫。周辺1キロの間に人は誰もいない、暑いけど換気もいいし問題にないという。
シカが繁殖して困っていると聞いたが、根こそぎ植物を食いあらすので表土がむき出しになり、雨が降ると土砂崩れを起こすのだそうだ。特に伊那谷は地質構造も軟弱で今年のように大雨が降ると大規模崩壊につながるそうだ。本当にシカと土砂崩れとの間に関連があるか、あるとすれば、どう対処すればいいか。砂防の専門家のHANAOKAさんは地元の大学の研究者とともに、基本調査を続けている。
まずシカの行動を調べるために、各所にカメラが取り付つけられている。急斜面を上り下りできるシカの道をたどるのは大変だ。2か月に一度はカメラデータを集積し、電池を交換しなければいけない。一つに10本の電池がいるので、1か所分の電池を持つのはけっこう重い。私は足手まといにならないようについているだけだが、研究者の皆さんはコロナ外出自粛の中、もくもくと電池交換に登りおりしている。こういう人がエッセンシャルワーカーなのだろう。
夜は一緒した登山家のHYODOさんが所属する大阪市立大学の山荘に泊めてもらう。ログハウスの素晴らしい山小屋だ。すぐ近くにやはりログハウスのピザ屋さん(OZ)でテイクアウト。
このグラフを見れば当然第2波と言うことがわかるが、偉い人は誰も第2波が来ているとは言わない。このグラフの右端はさらに上がるのか、ここをピークに下がり始めるのか、それはわからないがともかく第1波よりも大きな第2波が来ていることは確かだろう。この最中にGOtoキャンペーンをやるというのは異常としか言いようがない。コロナが終息したらやると明示して予算を付けたのだから、それを前倒しなんかしないで欲しい。政府は世界とは一桁違うといっているが、とうとう累計感染者は1万人を超えた、死者も千人を超えた。確かにアメリカ、ブラジルとはだいぶ違うが、日本の渦中にいることは確かだ。経済が回らないと大変だというが命とどちらが大変なのか!せめてあとひと月待って欲しい。そのお金は、疲弊しきっている医療関係に回して欲しい。これだけがんばって救命をしている人たちにボーナスを出してあげたら。
そんなことを言いながら、相変わらず私は三密を避けながら、しかし体力を落とさないように散歩を続けている。本日は腰が痛いのと足の裏のイボが治療中なので自転車散歩。我が家から石神井川を下って隅田川へ、隅田川左岸を下って尾竹橋まで行きそこから都電通りを引き返し、田端の電車の車庫を上から見て飛鳥山経由我が家へ。
荒川沿いに我が母校があった。これまでは首都大学東京だったが、小池都知事のご尽力?で東京都立大学という名前が復活した。しかしこんなところにもあるとは知らなかった。
この後は熊野八幡神社、境内の厳島神社。狛犬さんに疫病退散を祈願してきた。狛犬は神社の門番だから、ここに祈願してもダメかな??