四国遍路第6回 伊予の国へ(2017年3月)


2015年3月から始めたジイさんバアさんの四国遍路、2年間経ちましたがまだ半分の44番付近に達しません。これまでママチャリを駆使しながら人力にこだわってきましたが、伊予の国(愛媛県)に入ると毎日峠越えで自転車は使えません。

自力で行くしかないのですが、体力は使い果たしているので、所々列車でトンネル越えにならざるを得なくなりました。ということで完全歩き遍路は消えましたが、1200キロの行程から言えばまだ誤差の内と強がりを言っています。しかし73歳というのはけっこうな年だということを認識しはじめました。

今回は5泊6日、高知龍馬空港で高知県入り、帰りは内子から列車に乗って松山へ、松山空港から戻りました。次回は内子まで戻り愛媛県の難所第45番岩屋寺に向かいます。もうこの日数はきつくなりました。次回からは交通費はかかるけど3泊4日ぐらいにするつもりです。

上の写真をクリックするか ここ ➡ 四国遍路第6弾

四国遍路 第5回 足摺岬へ

前回2015年9月に第36番を青龍寺を打ち終えて須崎の先の安和まで歩き、森の駅という場所に自転車を預けた。来月また来るので1か月預かってくださいと言っておいた。ところが東京に帰ってすぐに奥さんが不調でしばらく入院し、戻ってきたら今度は私が入院ということでほぼ1年間療養生活で過ごすことになった。この間お遍路のことはもうあきらめていた。自転車については手紙でしばらくいけないがよろしくと言って預かり料金を同封しておいた。

2016年夏過ぎて体調が回復してきたので再びお遍路に戻ることを考えた。10月になって手探りで復帰、決して無理をしないように難所は列車に乗ってもいいかと自分自身にい聞かせて出発した。高知往復はこれまでと違ってヒコーキを使った。その後は高知駅から土佐くろしお鉄道で往復をした。ヒコーキは楽だがその後の鉄道は本数が少ないので合わせるのに苦労をした。ということで4泊5日の旅をご覧ください。

四国遍路第4回目 高知市内

近況
19日日曜日に思い立って「家中登山」を開始した。すでに家中登山をやっている人が大勢いることを知った。彼らのHPを見ると6時間半で富士登山をなしとげて人もいる。私は今一日50回家の階段(5.4m)を登り下りするのがやっとだ。昨日からはひざが痛くなってきて、速度は遅く途中休み時間も多くなってきた。しかしチリも積もればで、まだ6日間だが1297mを登ったことになった。暇なのでどこの山と同じかと調べてみたら、群馬県の子持山が標高1296mだそうだ。子持山は群馬天文台のある山で何回も登っている。「やったぜ!」、次は東京都最高峰の雲取山を目指そう! 続きを読む

四国遍路第3回 室戸岬へ

この写真は四国室戸岬にある「みくろど」という洞窟である。この場所に座って修行をしていた眞魚(まお)は空と海を見続け悟りを開いて「空海」と名乗った。私も中に入って海を見た。なるほど空と海だけだ。「空と君との間には今日も冷たい雨が降る」あれこの歌詞は中島みゆきだ!

今回は第3回の四国遍路、前回終了した23番薬王寺から室戸岬を目指した。まず薬王寺までは東京から12人乗りのデラックスバスで阿南市まで行きそこから牟岐線で日和佐まで行った。そこから24番最御崎寺までは80キロある。途中に民家のない地区がしばらく続くので奥さんは歩けそうにもない。そこで日和佐でママチャリを買って、それに荷物を積んでいくことにした。結果としては大変良く、2泊3日で室戸岬の最御崎寺まで行くことができた。

お暇な時には見てください。 四国遍路第3回 24番最御崎寺から37番神峰寺へ

以下は我が家の最近の状況

我が家は毎日が日曜日なので、19日が日曜日とは気がつかず外に出て驚いた。近所のスーパーの前には人だかりができている。都心は人出が大いに減ったというが、周辺地域は賑わっているようだ。我が家の買い物はあきらめ大急ぎで家に戻った。年寄りは日曜日に買い物に行ってはいけない。幸い我が家には食料備蓄は1週間ほどある。

家に戻って考えた。我が家で登山をしようと!土曜日の雨の時に始めた。奥さんはスカイプを使って仕舞の稽古をしている。私は邪魔になるので家の中での登山を開始した。我が家は昔6人家族だったので3階建てである。階段の1段は20センチ、3階までは27段ある。一回登ると5.4m、10回で54m、50回で292mになる。山登りでは1時間で300m登るのが標準だから、私も頑張ってみることにした。

しかし50回自宅の階段を上がり降りするのは結構きつい。日曜日には12回上り下りしたところでダウン。疲れるよりも先にばかばかしくて飽きる。でも本日また挑戦をしてみよう。いい目標ができたので毎日登山をやろうかと思っている。新型コロナが終息するまでには富士山に登れるかも。

 

 

四国遍路歩き旅 第2回目 

 すでに作ってあるページをここにリンクするだけなので簡単なはずだが、年寄りにはいろいろわからないことがある。本日やってみて、写真をクリックするだけで四国遍路のページにリンクする方法が分かった。簡単なことだったが、そこにたどり着くまではけっこう大変だった。 続きを読む

四国遍路第1回 2015年の記録

毎日ひきこもり生活でパソコンの前に座る機会が多い。5年目に70歳を機会に四国遍路に出かけた。このページからも入れる「四国遍路」のところにその記録を入れてあったが、意外と見にくい。そこで札所ごとではなく回数と日にちごとに並べなおしてみた。このブログに1回目から順に並べてみようという計画をした。

全部を札所順に並べて置いたつもりだったが、欠けているものや写真が抜けているものも多い。私はこのページはホームページビルダーで作ってさくらインターネットのサーバーからアップしているのだが、年寄ると扱いを忘れて、リンクが切れたり写真を紛失したりするので、やり直しに手間がかかる。しかし頭の体操になるので2、3日おきにアップしていきたい。コロナ引きこもりのいい遊びにしてみよう。

まず一回目は新幹線で岡山、瀬戸大橋を渡って予讃線で坂東という駅まで行き、そこから歩き始めた。前途1200㎞、10回に分けて2年間で行く予定だった。今回は第1番霊山寺から第19番立江寺までを7日で行った記録です。合計150㎞ほどまだまだ1割ちょっとだ。前途多難。同じ時期にジャイアンツの清原選手が歩き始めていた。会うことはなかったが、毎日前後していたようだ。

四国遍路歩き旅 第一回目

四国遍路第11回目(区切り打ち)屋島へ

10月7日、奥さまの大江能楽堂での仕舞の発表のあと、京都から高松へ移動して、四国遍路に出ました。衣装や洋服などは宅急便で送り返し、身軽な格好になりました。別のページに今回の報告書を作りました。まだリンクがつながっていないので、青いところをクリックしてください。
第84番 屋島寺のページ

82番根香寺(ねごろじ)

81番白峰寺は五色台の白峰にあった。こちら82番は青峰にある。その間は50丁の距離で讃岐の遍路道が結んでいる。旧陸軍の演習地でいまも善通寺部隊の敷地なので開発が進まなかったようで、大変保存がいい。丁石は、たぶん補修したろうが、50丁分全部残っている。50丁はほぼ5.5㎞で、上り下りはそれほどでもない。しかし我々の足では2時間以上かかった。

五色台の主峰、青峯山山中にたたずむ。弘法大師は密教修行の地としこの山に「花蔵院」を建立した。大師の甥の智証大師が訪れ、山の鎮守の一之瀬明神に出会い、「蓮華谷の木で観音像を作りなさい」というお告げをうけた。智証大師は蓮華谷の木で千手観音像を彫造し「千手院」を建てた。この霊木の根は芳香を放ち続けたことから「花蔵院」「千手院」を総称して根香寺とよんだ。根香寺は後白河天皇の帰依も厚く隆盛を極めた。と記されている。弘法大師が開祖だがいまは天台宗。

かなりの山の中で昔は密教の修行の地だった。外界からの影響を断って大勢の修験者が活動をしていた。俗人にはわからないような現象も起こっていたというので、近年はパワースポットとしても知られる。怖いもの見たさに訪れる人も多い。仁王門のわきには牛鬼の大きな像が参拝者を驚かすように立っている。

人間を食べる恐ろしい怪獣、牛鬼が青峰山に棲んでいた。弓名人山田蔵人高清は山へ入ったがなかなか牛鬼が現れない。そこで高清は根香寺の本尊に願をかけた。21日目の満願の暁に、牛鬼が現れ口の中に矢を命中。高清は牛鬼の角を切り寺に奉納。牛鬼の絵は魔よけのお守りとして親しまれている、そうだ。

 

第81番白峰寺

坂出の東には300mを超す溶岩台地が広がっています。溶岩はカンカン石と言われる固い安山岩です。この溶岩は古い時代に噴出したもので、現在知られる火山由来ではない。溶岩は長い間に侵食され、谷がいくつも刻まれ、いくつかのブロックに分かれています。そのなかで目立つ峰に青峰、黄峰、赤峰、白峰、黒峰の五色の名前が付けられています。

白峰に81番白峰寺、青峰に82番根香寺がある。その2寺の間には讃岐遍路道が残っており、重要文化財として保存整備が進んでいる。これはなかなかいい道で、歩いてよかったと思っている。地元の中学生も授業の一環として歩いているようで、今回多くの生徒たちに追い越された。

五色台全体の地図

■815年に弘法大師空海が白峰山頂(337m)に上った。その後空海の妹の子である智証大師がここに寺を創建した。智証大師は、山の神である白峯大権現の神託を受け、霊木で千手観音像を彫造し本尊にしたという。■白峯寺の中には「頓証寺殿」という建物もある。後鳥羽天皇と戦った保元の乱で負けた崇徳上皇は讃岐に流され、都へ戻れないまま流刑地で没した。白峰山に陵墓が造られた。崇徳院と親しかった西行法師が詣で法楽を行った。その後慰霊のため陵墓近くに、崩御までの6年間を過ごした木の丸殿をここに移した。現在の頓証寺殿がそれである。四国88カ所霊場の白峯寺に詣でる人は多いが、実はこの崇徳天皇の御陵に詣でる人も多い。私が訪れた時も、駐車場にいたタクシーの運転手さんは「みなさん御陵にこられています」と教えてくれた。お遍路さんは御陵を素通りして、遍路道に入っていく。お遍路さんは途中にある寺や神社、御陵にはあまり目を向けない。私は歩き旅であるから途中の興味深いところには寄り道をするので予定時間を過ぎることが多い。これもまあいいか! である。

崇徳上皇がなくなってしばらくして西行法師が慰霊の旅をした。五色台の下にある・・神社から急な坂を上ってここまでやってきた。その道を今は「西行道」として参拝の人がとおる。私も知っていれば79番から80番を後回しにしてこの道を上ったのだが・・・、ここから下る気はなく、白峰寺をゆっくり参拝して、讃岐へんろ道を82番根香寺に向かった。

門を入って正面に護摩堂がある。左に曲がって正面に頓証寺殿がある。本堂大師堂は右手にある急な石段を上がった上にある。途中に立派なお堂がある。

本堂の拝殿の天井の釣り灯篭

昨日参った79番天皇寺が崇徳天皇の配流地の御所だった。81番は御陵だ。天皇関連とすれば79番から80番を飛ばして81番へ行くのが自然だ。昔のへんろ道もそうなっていたらしい。しかし札所めぐりは順番どおりに行くようだ。合理的な考えをする人たちは79⇒81⇒82⇒80⇒83 とめぐるようだ。

80番国分寺からの「へんろ道」

国分寺を過ぎると、どんどん山の方に道が入って行く。あの急な坂が「へんろころがし」なのだろう。昔は田んぼがあったようだ。重機を操作しているお兄さんに聞いたら、放棄された田んぼを太陽電池パネルの設置場所変えているところだという。苦労して稲作をするよりも、パネルを設置して利益を得る方が楽だろう。なんかアパートの大家さんみたいだ。
国分寺発9:30→

本日は日差しは強いが気温は20℃くらい。山の中は木々が茂っているので日差しはさえぎられる。奥さんは日傘をさしていたが、山の中では必要がなくなった。
展望台(石鎚神社WC)10:30 → 一本松峠 11:30

  一本松峠には車道が通っている。右に行けば82番根香寺(ねごろじ)左に行けば81番白峰寺(しろみねじ)である。2週間前に通ったばかりの清水さんのアドバイスでまず車道を通り81番へ向かう。歩く道は車道を横切ってくだる。涼しいし気分はいいだろうが上り下りがあり遠い。自衛隊のフェンスに沿って2キロほど歩き、途中から歩道に降りる(左の案内柱)。
ゼンマイがたくさん生えているので取りたかったが、持って歩くわけにはいかない。81番白峰寺までいい道だった。

81番白峰寺( 寺の記事は別にする)
崇徳院ゆかりの寺を後にして、同じ道を古田まで戻る。寺の前に「へんろの道」の案内がある。ここは讃岐でも最もよく丁石(ちょういし)が残っており、手入れもされているという。50丁からはじまり82番の根香寺が1番になっている。
上の石柱12:15 → 白峯寺12:30-1:00 → 閼伽井2:10 → 19丁3:00 → みち草 3:30

19丁を過ぎるとまもなく車道にぶつかる。みち草という食堂があった。一瞬入ろうと思ったが、すでに3時半、先はまだ長いので素通り。

82番根香寺 4:00-4:30 → へんろ小屋4:45 → 車道分岐5:30 → 鬼無駅 6:30

9時間の行動時間、長い一日でした。3万9千歩。鬼無駅から丸亀に戻りホテルへ。

四国88ヵ所 80番 国分寺

とうとう80番まで来た。あと8札所を残すのみとなった。あと一回の歩き旅で「結願」ということになる。前に書いた通り願いが叶うというほどの願いを持っていないので完歩と言った方がいいかもしれない。

昨日は79番まで巡って、鴨川から電車で丸亀に戻った。丸亀のホテルが奥さまのお気に入りなので今回は連泊することにした。おかげで本日は荷物を持たないで歩くことができる。最近ちょっとでも重いものを持つと翌日は起き上がれないほどの腰痛になる。大きなお風呂もあるのでいいホテルだ。値段はへんろ民宿よりも安い。いったいどうなっているんだろう。今朝は丸亀から電車で国分駅に来た。2駅抜かしたが本日は「へんろ転がし」を行くので大目に見ることにした。

国分寺は思ったよりもはるかに立派な寺だった。時間をかけずに先を急ごうと思っていたが、じっくりお参りが必要だった。30分以上かけたので、あとの時間に響いた。本日は先が長いということを忘れていた。

立派な本堂があり、奥さまはしっかりお参りをしていた。ここには千手観音がおられるそうだ。私は大師堂に行こうとしたのだが、それらしいものは見えない。あたりを見渡すと弁天様と七福神が祀られている。お寺と弁天さんの関係はよくわからないのだが、まあいいか! 納経所で聞いてみると建物の中に大師堂があった。写真禁止なので大師堂の写真はない。これまで79ヵ所で本堂、大師堂は必ず写真を撮ってきたので、ここでかけるのはちょっと残念。でもまぁいいか!

昔の国分寺は741年(天平13年)に聖武天皇が仏教による国家鎮護のため、当時の日本の各国に建立を命じた寺院であり、国分僧寺(こくぶんそうじ)と国分尼寺(こくぶんにじ)に分かれた。しかし国からの援助がなくなるとほとんどの国分尼寺は廃寺になり再興したものはなかった。国分僧寺もほとんどがなくなったが宗旨を変えて存続したものもある。四国には旧国に4つの国分寺があるが、讃岐の国分寺だけ当時の場所に存続した珍しい寺である。現在の寺の裏手で当時の遺跡が発掘中である。

 

四国88ヵ所 79番天皇寺高照院

78番郷照寺の大師様にご挨拶をして急いで坂を下りる。新町という古そうな町をとおり、国道をくぐって小さな峠を上る。うどん屋があったが本日終了。香川県はうどん県と称しているが、まだ讃岐うどんを食べていない。残念。

峠を越えると田尾坂公園にでる。眼の下にまっすぐな道が坂出の駅方面につづいている。荷物がないので快適に本町アーケードを行き、坂出の駅を右手に見て進む。線路を越えて山麓をまわるいい道を歩き八十場(やそば)の水場をすぎる。この水で日本武尊は生き返ったという由緒ある湧水だ。日本武尊はいろんなところに出没するものだ。

八十場の「ところてん」清水屋さんをすぎると大きな椎の木がある建物の境内に入る。境内に入ると反対側に赤い鳥居が見えるのでそちらに回る。近所の人に「天皇寺はここかな?」と聞くと、「ここは神社だけど、天皇寺といっしょだ!」と教えてくれる。赤い鳥居は三つ鳥居、我が三輪神社の鳥居と同じで「三輪鳥居「」ともいう。その鳥居の右手の大きな岩に「四国79番霊場天皇寺」と彫りこんである。さらに白峰宮という柱もたっている。何がなんだかよくわからないがみんなごっちゃになっているらしい。

とりあえず本堂と大師堂にご挨拶をするが、正面にある神社の拝殿、本殿に比べると見劣りがする。それもそのはず、ここは明治まで神仏混淆の天皇寺だったが、神仏分離で寺は廃寺になりその後末寺だった高照院が再興したようだ。したがって天皇寺高照院というのが正しい。お遍路地図などには79番天皇寺とあるが、それじゃ高照院はかわいそうだ。天皇寺高照院と書くのが正しそうだ。

さて天皇とは第75代の崇徳天皇だという。ちょっと調べてみたら
小倉百人一首の『瀬を早み 岩にせかるる滝川の われても末に あはむとぞ思ふ』
の詠み人で、文化人らしい。
しかし崇徳天皇は平将門、菅原道真をしのぐ大怨霊であるとされている。

崇徳天皇の祖父は白河天皇、父は鳥羽天皇だが、実際は祖父の子だったようで、父は崇徳のことを忌み嫌った。権力者だった祖父は息子の鳥羽を上皇にし、崇徳を天皇にした。

白河法皇がなくなった後、鳥羽上皇は崇徳天皇を廃して近衛天皇をたてた。近衛天皇はすぐに亡くなるが、崇徳が呪い殺したという噂が立った。近衛天皇の後に立った後白河天皇は平清盛と組み戦いを起こした。「保元の乱」である。負けた崇徳上皇は四国の讃岐へ流された。

自分の血をとって書いた写経を京都に送り、帰還を願ったが、破り捨てられたのを知り絶望して、1164年舌をかみ切って死んだ。「日本国の大魔縁となって、天皇を民とし民を天皇となさん」と呪ったという。その後、後白河法皇の近親者に次々と不幸が襲った。崇徳が予言したように武士が台頭し、天皇の地位は地に落ちた。

その後100年ごとに起こる大きな事件は崇徳上皇の呪いだとされてきた。怨霊をおそれた明治天皇は崇徳天皇の御霊を京都に戻し白峰神宮を創建してから即位した。亡くなって800年後の1964年には、昭和天皇が崇徳天皇陵に勅使を派遣し、霊を鎮めた。そのおかげで東京オリンピックは無事成功したという話も残っているそうだ。

100年ごとに呪いを発揮するなんてまさに大怨霊だ。私にはなんの関係もないが、崇徳上皇の呪いが残っている場所には長く居たくない。赤い鳥居をあとに一の鳥居に向かって急いで駈け下りた。そのせいで、行先の表示をちゃんと確認しなかった。ふつうは門前にある案内板(下の写真)を確認して次の札所に向かう。私はあわてていたので鳥居前の参道をまっすぐ下って行った。おかげで翌日「へんろ転がし」の難所に苦労をした。翌日出会った外国人の歩き遍路はみな「へんろ転がし」の急坂を下りに使っていた。

彼らのもつ案内書には、79番天皇寺から81番白峰寺にあがり、82番根香寺に参ってから一本松にもどり「へんろ転がし」を下って80番に行くと書いてある。この道の方が昔のへんろ道であると書いてある。日本人は順番通りに行かなければいけないような気がしているが、ここは 79→81→82→80 と順序を変えたほうが合理的である。その時には知らなかった。残念。

四国88ヵ所 78番郷照寺

78番郷照寺
宇夫階神社の鳥居前は参道になっているのだろう。まっすぐな道が付けられている。鳥居からすぐのところに立派なお寺が、きっと郷照寺に違いないと思ったが、実は別の寺だった。郷照寺はそのさき、右手に入り少し登ったところにあった。

一番下には鐘楼がある。そこから宇多津の街が一望できる。坂出の街は峠を越えた向こう側らしい。鐘楼から石段を上がると納経所がある。本堂はさらに数段あがり、さらにその上に大師堂がある。1日目でまだ石段登りに慣れていないので庭園脇の緩い坂を上る。立派な池を巡る庭園があった。なかなかいい感じだった。

ご本堂と庚申堂  四国88カ所の中で唯一「時宗」の寺だ。

大師堂のさらに上には淡島様がある。女性の守り神様だ。奥さまはお参りしたが、私はちょっと近づきがたく、地下にある阿弥陀堂に降りて行った。小さな阿弥陀様の像が千体万体並べらられている。奉納した方々の気が満ち満ちているようで、急いで外に出た。まだ修行が足りないのでどう対処してよいかわからない。

四国88ヵ所歩き旅:77番道隆寺

今年3月に、5泊6日で76番の金倉寺までまわった。後半の2日は雨の中、弥谷寺の555段の石段登りはかなりハードだった。帰ってきてしばらくは体調が戻らなかった。ほぼ1週間、休みなしに歩くのはきつい年齢になったことを悟った。次回は交通費はかかるが2泊3日ぐらいにしたいと考えた。

今年中に何とか88番まで回りたいと考えていたが、残り1回で12札所をまわるのはムリになった。そこで暑くならないうちに6札所をまわり、残り6札所を秋に回り完成させることにした。全部札所をまわれば結願ということになるが、我が家は仏さまになんの願いもしていないので「結願」とは言えない。そこで歩き旅の完成ということにした。
東京駅を7時10分の「のぞみ」で出発したら多度津に11時40分には到着する。4時間半で四国の年に着くのだからすごいものだ。ヒコーキでもこれぐらいはかかる。5月の最初は暑い日が続いたが、本日は日差しはあるもののかなり涼しい。暑さにはたいへん弱い我が家の奥さんでも十分に歩くことは可能だった。多度津駅から30分、距離は1.5キロほどだが駅前にあった太胡石を見ていたら遅くなった。この石は先日訪れた上海で見た石だった。説明文を読むと友好都市になったので上海のなんとかいう町から送られたとのことだった。

第77番 道隆寺
多度津駅から行ったので、寺の裏手にでた。76番から歩いてくる場所が正面なのでぐるっと回って大門前に出た。道隆というのは領主さまの和気道隆から名をとった。彼は怪しい光を放つ桑の木に向かって矢を射た。その矢は乳母に当たってしまった。それを悔いた道隆は桑の木で薬師如来を彫った。息子は唐から戻った空海に頼み、さらに大きな薬師如来を彫って、その体内に道隆の薬師如来を本尊とした。本尊は「眼直し薬師」として今も信仰は厚い。眼がよくなってご典医になった京極左馬造の御廟がある。

丸亀へ
寺の裏から国道に出る。先を歩く本格遍路さんについていくが、すぐに見えなくなる。途中民家の壁にこんな看板があった。セクハラ・パワハラの財務省幹部に読ませたい。お遍路をしていると人間ができてくるそうだが、私はどんどん不満や怒りが増して来る。お遍路をしてもあまり得るものはないかな。
本日は丸亀のホテルに泊まることにしてあるので、荷物を預けて先に進む。貴重品とカメラだけになったら、足はすいすい進み、気分はよくなって、財務省大臣への怒りも和らいだ。

宇多津には宇夫階(うぶしな)神社があった。
宇多津を通り越し県道の下をくぐってすぐにわき道に入る。気を付けていないと見過ごす。少し登って下るとなにやら不思議な神社前に出る。宇夫階(うぶしな)神社と名前が付けられているが石段を登るといくつもの鳥居があり、かなりの神社が集合している。末社や摂社ではなく並立しているようだ。伊勢の社をもらってきた社殿もあるし金毘羅さんもある。
本殿の裏に回ってみると巨大な花崗岩がある。注連縄がはられているので磐座(いわくら)だと分かる。これぐらい大きいと何となく神秘性が感じられる。ここに神さまが降臨されるのだろう。私は無神論者ではない。人知を超えた偉大な存在があると考える方が合理的で自然だと考えているからだ。

四国お遍路歩き旅

20日帰ってから毎日お遍路の報告を作っていました。パソコンに向かってはいるのですが、半ボケ状態なので何をやっているか忘れて、同じことを繰り返したり、作ったばかりのページを消去したりで、なかなか進みません。頭が退化しているのでなかなか思い通りにいきません。やっと何とか形になりました。ご覧ください。

四国お遍路第8弾 2017年11月16日から20日まで 札所52番から64番まで、一回に13ヵ所も回ったのは初めてです。