今年もグダグダと年越しだ!

12月28日(日) 来年もよろしく
  掃除をしなければ家を出してもらえない。ちょっとだけ手伝いをするようなふりをして、マラソンにでかける。押し迫った年の瀬を感じさせるような門松や飾りの小屋がたっている。我が家には松飾りはない。どれだけの松が切られているのだろうか。

松の飾りだけでなく、切り花もきらいだ。せっかく気持ちよく咲いているのに、ちょきんと切って飾っておくのはかわいそうだ。花は人間を楽しまそうと咲いているわけではない。土にくっついている鉢植えの花ならまあいいけど、切られた花を美しいとは思えない。花業者さんには怒られるし、風情のない人だと蔑まれるかも知れないが、「やはり野におけレンゲ草」のことば通りだと思います。

◆パソコンの前でグダグダと愚痴をこぼしているというのは、精神上よくない。東京の富士山巡りに行って来よう。ことしもいろいろお付き合いいただいてありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。よいお年を!

2003年最後の高尾山

12月24日(水)  今年最後の高尾山
 クリスマスイブだ。不景気だといいながら世の中ははしゃいでいる。そんな景色を横目で見ながら、高尾山に向かう。今年は山岳耐久レースのトレーニングで何回も足を運んだ。京王線新宿-高尾山口の回数券を2回買ったから10回は行ったことになる。

9月は高尾山口から陣馬山往復を4時間を目標にかなりハードトレーニングをしたが、レースが終わると高尾周辺探索が主目的になって、さまざまなルートを開拓した。高尾山から城山、景信山を通って堂所山に登る。いつもはこの山は裾をまいてしまうが、今回はここから関場峠をとおって北高尾山稜を入ろうという計画だった。

◆こんな日には高尾山には人はいないだろうと思っていたら結構オジサン、オバサンがいる。一人足に鉛のベルトをつけ、重そうなザックを背負った人が登っている。こちらは12月というのに短パンだ。追い越すときに顔を見ると、ICIスポーツの越谷さんだ。お互いにクリスマスイブに都会にいられない人なのだ。

◆堂所山をこえたところでサルの群れに会う。野生のサルはかわいくない。敵愾心をむき出しにするので、一人だと怖い。走ると追っかけられそうなので、ゆるりゆるりと行きすぎる。関場峠近くで、こんどは木の枝をバギバギと折りながら動くなにかががいる。「クマか?」と思うが、ここら辺にはいないはず。イノシシだったようだが、陽射しが弱く薄暗くい山道では気持ち悪い。前回も八王子城址近くでイノシシにであった。恐ろしくなって関場峠から林道に下って、小下沢をかけおりた。

1時間ほどで中央高速道路の下に出る。圏央道とのジャンクションが建設中である。高尾山の下をトンネルで抜ける圏央道には反対が多いのだが、着々と工事は進められている。ここまで進めば、もう既成事実ができ、まあ仕方がないか!と言うことになる。やり方が汚い! 

◆私は署名をしただけで何も行動をしていないのだが、こういうやり方には腹が立つ。そのまま駅まで行くにはエネルギーが沸騰しすぎていたので、蛇滝から高尾山を越えて高尾山口の駅に降りることにした。4時間ほど走ってきた身には、少々きついが、立てた腹を納めるにはちょうどよい。がむしゃらに登って、コンクリート道を駆け下りる。膝とくるぶりが痛くなった。途中、眼下に巨大な空中橋がぐるりと回っている姿がみえた。蹴り倒したい感じだが、もうその力はない。

忘年会 赤い靴!

12月20日(土)  忘年会
 今年は忘年会が一つもない。と思っていたら心優しい卒業生が仲間に入れてくれた。紹介はみわ塾に時々きてくれる石澤さん、清瀬高校のOGだ。天文部時代の仲間が年末にいつも集まっている岸くんのお宅におじゃました。高校卒業以来にあう人もいて懐かしい。いつものように、お酒を飲み過ぎるて、はしゃぎすぎたかも知れない。

年をとったら人の話を聞きながら、ほんの一言、立派な発言をしなくてはいけないのに、UFOがたくさん来るのは北海道の喜茂別村だとか信用されない話をくどくどとしたようだ。(最近は福島県飯野町がUFOの里として「UFOふれあい館」を作っている)

◆ついでに「赤い靴」の女の子の話は喜茂別のとなりの留寿都(ルスツ)だという話もしたけど・・・・、

「いいジイサンに連れられて行ちゃった」 

女の子を札幌の宣教師に託した岩崎かよは留寿都村に開拓に入った。宣教師は帰国するが、女の子は長い船旅に耐えられないだろうと東京麻布十番にあった孤児院に預けられた。しかし9歳の岩崎きみちゃんはそこで息を引き取った。野口雨情はその話から「赤い靴」の詩をかいた。横浜の波止場から船には乗っていないのだ。麻布十番商店街に赤い靴の女の子の像が建てられている。

◆話がそれた。そんなほんとかどうか分からないような話ばかりするから、だんだんみんなから疎まれる。次はもっと静かにしているから、また呼んでくださいな。

都立大学が危ない!

12月13日(土)  都立大学が危ない
 都立大学の地理学科の同窓会の準備会が新宿で行われた。石原都知事が都立大学をぶっつぶすと言ったとかで、東京都はその方向に動き出したらしい。勤めている先生方は「むちゃくちゃ」という反応だ。

 新しい法科大学院に予定されていた教授たちは全員止めてしまったので、来年の都立法科大学の学生募集はできなくなった。この教授たちは引く手あまただからいいだろうが、他の教授先生たちはあわてている。

◆我田引水ではなく、都立大学は良心的な大学である。学問水準も高い。この大学をぶっつぶして予算を削減したと喜んで言いものか? 慎太郎というのは知的な人間を皆殺しにしたポルポトや文化大革命で学者を追放した晩年の毛沢東並の頭脳しか持っていないのだろうか。こんな人が都知事で、圧倒的な支持を受けているというのはどうにも納得ができないが、現実だからしかたがない。

◆1月に「都立大学」としての最後の地理学科同窓会を開くことになった。会の講演は私がやることになった。母校が亡くなる寂しさを少しは訴えたい気持ちがする。大学だけでなく、高校も前からめちゃくちゃな改革(?)が行われている。だれも気がつかないうちに、若者を親石原、親小泉、親ブッシュに向かわせようと言う意図が、私には見えている。為政者というのは世の中の雰囲気を上手に導いていくものなのに。

イラワジ河口にて

12月11日(木)
 しばらくホームページの更新をしていなかったので、どうしたんだろうと心配されている方々もいらしたかもしれません。(だれも心配なんかしてない!)9月に続いて再びミャンマーに行ってきました。向後さんの主催するマングローブ植林行動計画(ACTMANG)の一環です。前回は雨季の最中で、植物にとってはよかったのですが、我々にとっては暑くて湿気100%という最悪の環境でした。今回は乾季で気候としては最適で、日本からの観光客も多くいました。しかし私たちの行くイラワジ川の河口地域は、乾季になると飲み水不足になります。井戸を掘っても塩水ばかりで、真水は別の地域から運んでこなければならないので、大変な負担になります。旅行者が来るとそれだけ水不足になるので地元の人々には迷惑なのかも知れません。多少肩身の狭い思いをしながら、それでもご迷惑をかけてきました。その報告は後ほどします。

マングローブの講義を聞く

11月18日(火)
 駒沢大学の公開講座で、東北学院大学の宮城先生がお話になるというので、聞きにいった。久しぶりの大学の講座は心地いいもので、マングローブの話も大変ためになった。私もソネラチアやアビセニアなどというマングローブの木は見分けが着くようになっているので、周りの学生たちよりも理解が深かったような気がする。
 駒沢大学からの帰りは、とうぜん2時間ほど走った。頭を使った後は、気分良く走れる。走っているうちに今日聞いてきたことがぽろぽろ抜け落ちてきたような気がする。
 
 ここのところ、松尾くんにも指摘されるように、脳みそを筋肉に変えることしかやっていなかったので、時には筋肉をほぐしておかないといけないな。明日はみわ塾です。しっかり準備をしておかないと! 蓄積が乏しくなっているので、立ち往生するかもしれません。頑張らなくちゃ!皆さんと会えるのが楽しみです。

 夕方、川口の羽鳥くんが薬をたくさん持ってきてくれた。薬品をミャンマーに持っていきたいとしゃべったら、すぐに応じてくれた。このフットワークの良さがないと、商売はできないのだろう。けっこう繁盛していると聞いているので、ありがたく頂戴をする。感謝!感激!

高橋尚子が抜かれた!

11月17日(月)
 ADSLの不調で、しばらくホームページの更新ができませんでした。ようやく復旧したが、不調の原因ははっきりしない。YAHOOに何度も調査を依頼したが、どこも悪くない。唯一可能性があったのが、1階と2階にわけている電話線の干渉か(あるいは電話機の子機に飛ばす電波かもしれない)と思い、電気を使わない昔の電話機に変えたところ、現在はもとにもどった。
 この1週間は、ほとんど外界との接触がない世捨て人になっていた。本来原始メールの方が好きなのだが、今はもうネットにがんじがらめになっている自分を再発見した。

 日曜日は地平線会議の友人である松田さんが東京マラソンを走るので、朝から国立競技場に行った。招待選手は競技場からスタートだが一般参加は外の外苑からのスタート。ものすごい速さで飛びだした高橋尚子を外苑プールのそばで見てから、松田さんのスタートを見に行った。彼もかなりの飛び出しで、レースへの意気込みが感じられた。気温が高く、風がかなり強いので前半は自重した方がいいのにと、よけいなことを考えたが、松田さんにはあてはまらず、高橋尚子にはあてはまった。
 
 復路の最難所である四谷見附への上り坂の途中に1時間も前から陣取って、ラジオを聞いていた。快調にトップにたっていた高橋は飯田橋のあたりからヨレヨレになっているようで、この登りまで持たないのではないかと心配された。なんとなんと私の見ているすぐ前でエチオピアの選手に抜かれちゃった。後を振り向くと足元はふらついて蛇行している。これだけヨレヨレになっている姿はかわいそうで見ていられない。歩道を走って追っかけながら応援をしたが、先頭とはドンドン離れていく。 ゴールした後、無理に快活そうにしている姿も、ちょっと寂しくなった。もう一度走ればいいじゃない!まだ時間はあるのだから。

 松田さんは3時間2分、サブスリーにはちょっと届かなかったが、自分の実力を十分に発揮したようです。けっこういい年なのに、よくがんばれるものだと感心した。私もと、ついつい思ってしまうが、体力は正直で、もう目一杯の力で走ることはできません。みんなの走りを自分のことのように思いながら応援をすることに宗旨替えをしました。 

ミャンマーに見る幸せとは!

12月12日(金)  
 地平線会議の通信にミャンマー報告の短報を載せました。その再録です。
 
 向後さんのマングローブ調査のお供でミャンマーに行ってきました。国連から世界最貧国にランクされ、総選挙の結果を無視し、アウンサンスーチーさんを監禁する軍事独裁国家なんぞに行ってなるかと思っていたのですが、現地をみて大きな驚きがありました。ヤンゴンのシュエダゴンパゴダは世界一の金のカタマリ。各地に金ピカパゴダがあります。この巨大な金塊を使えば経済なんかすぐに回復するはずです。しかしミャンマー人はお金が入ると金持ちも貧乏人もお寺に喜捨するので、そこで金塊に変わり、世間には回らないので経済活動は停滞するのです。

◆社会経済が行き詰まっているのは軍事政権のだけのせいではありません。ミャンマーの人々は現代経済の価値観とは違った世界に住んでいるのじゃないかと思いました。イラワジ河口のマングローブ地域では、経済の発展=幸せ という図式はありません。世界地図では、マングローブの森=貧しい地域のように見えますが、そこでは植物、動物、人間の「共生」が感じられます。マングローブ植物だって塩水より淡水の方がよく育ちます。しかしその植物は与えられた厳しい環境の中でフテ腐れずに、そこそこ満足して生きているのです。昔の人は良いことを言ってます。「足るを知るものは心豊かな人」。

◆今はちょっと悪いが経済的に発展したアメリカ、日本にはたして心豊かな人が多いのか。欲望には際限がない。どこかで足るを知らないと、行き着く先は破滅のみ。ミャンマーの田舎に破滅を逃れるヒントがありました。それを学ぶために来年は「イラワジ・みわ塾」を開催することにしました。乞うご期待。

みわ塾野外授業 城ヶ島

11月9日(日)
 金曜日からADSLの調子が悪く、ついに使用不能、電話回線利用になってしましました。早急に回復させないと大変です。一昨日からYAHOOに連絡しているのですが、埒があきません。これを機会に光ファイバーにしようかしら!
 
 きのうは「みわ塾」野外授業で、城ヶ島に行きました。25℃にもなる暑い日で、とても11月とは思えません。太陽の爆発の影響なのかと思ってしまいます。

8時45分の三崎口行の特快の中が集合場所でしたが、高校生とは違ってオジサンオバサンは時間に正確です。総勢23人にもなったので、昼飯は魚料理の店組とアウトドア組に分かれました。アウトドア組は三崎の町でバスを下車して、魚屋さんでマグロとムツのお刺身を作ってもらい、弁当屋であたたかいご飯を買いました。再びバスに乗って城ヶ島に着くとまず最初に食事時間、アウトドアの食事は遠足みたいで、懐かしい思いがしました。
 
 そのあとは「眼力」を鍛えるためにいくつかの地層を眺めました。高校生にはこれとこれを見るようにと指示をするのですが、皆さんはそれぞれの経験があるので、ヒントをだすとその後は、大いに眼力を鍛えていました。野外観察をするときには、ある意識をもって見ると、いままで漫然と見ていた景色の中に、はっきりした線や面が見えるのです。崩れそうなので、上にのってはいけません。
 
 このようなあらたな発見の中から、自然界の巨大な力や調和などを感じることができるのです。実際の自然を「眼力」を持って観察することによって、いままで持っていた自分の自然観を見直すことができるかもしれません。高校生の観察の1/5程度しか見ませんでしたが、皆さん何かを感じてくれたのではないかと思います。

城ヶ島の写真のページ
 
 現地解散の後は、三崎の町にもどって魚を買ったり、料理屋さんに入って盛り上がったり、遊覧船で油壺に行ったり、それぞれの余韻に浸っていたようです。

 いま日曜日の午後4時、衆議院の選挙の投票率は前回より低いようです。投票所はジイサンバアサンばかりで、若い人はほとんどいません。ジイサンバアサンの将来はどうでもいい。若い人は自分たちの先行きを託する選挙なのに、なんにも考えていないのかしら。
 私の高校時代、2年上に小沢一郎氏が、2年下に鳩山由紀夫氏がいました。菅直人さんは清瀬で知り合いました。いろいろ知り合いがいる民主党が躍進してくれるといいと思っているのですが、投票率が低いと、自民党過半数は動かないだろうなあ。

みわ塾 城ヶ島 野外授業

11月6日(木)
 8日の土曜日に、三浦半島の城ヶ島に行きます。みわ塾の野外授業です。8時30分京浜急行品川駅の三崎口行きの特急の電車の最前列に集合です。

 城ヶ島は「地層の博物館」と言われるほど、さまざまな種類の地層が見られます。ふだん何となく歩いていると見過ごす事柄も、眼力(がんりき)をつけるといままで見えなかったものが見えるようになってきます。

でも雨が降りそうで、少々心配です。雨が降ったら中止です。

太陽面大爆発 磁気嵐!

ボイジャーは太陽系の彼方まで行った!

11月5日(水)

11月も、もう5日たった。先月28日の太陽面の大爆発は、まだ引き続き起こっているようだ。爆発で吹き飛んだ磁気を帯びた微粒子(太陽風)は、ほぼ19時間で地球に到達する。そして地球大気の上空で磁気嵐を引き起こす。アメリカの気象庁であるNOAAは磁気嵐の強さをG1~G5の5段階に分類しているが、今回はG5という。これまでにG5級の磁気嵐は5回観測されているが、今回のように地球を直撃するものは珍しいそうだ。

 磁気嵐の影響で、北海道や本州の一部でオーロラが観測された。オーロラの出現はロマンをかき立てるのか、そればかりが今回の太陽フレアの話題になっているが、今回の爆発の影響はかなり大きく、深刻に考えなければならないできごとなのだ。

 例えば 昨年12月に打ち上げられた国産衛星「みどり2号」は、磁気嵐の直撃をうけ機能が停止した。約820億円もする衛星だったのにほとんど成果もないままに宇宙のゴミになってしまった。太陽観測衛星「SOHO」も画像送信を停止。データ中継衛星「こだま」も一時的に機能を停止した。 インターネットの時代、通信衛星がダウンしたら大混乱になる。我が家のADSLの不調も磁気嵐のせいかと勘ぐってしまう。

 話は大きく変化するが、1977年に打ち上げられたボイジャー1号と2号が、26年間かかって、ついに太陽系の果てまで到着したというニュースが載っていた。太陽系の果てというのは、太陽風の届く限界だという。すなわち今回太陽面で起こった爆発で吹き飛んだ微粒子は130億km彼方まで飛んでいくのだ。

 もうひとつついでに言っておくと、この太陽風は地球の磁場に跳ね返されるので、我々の身体に直接被害を与えることはない。しかし地球磁場は地球の歴史ではしばしばN極とS極が逆転する。NとSが逆になるのに要する時間は短いが、その間しばらくの間地球磁場が消滅する。そのときには太陽風はモロに地表に降りかかる。そうなったら人間なんてあっという間に絶滅してしまうのだ。

 恐竜絶滅は巨大隕石の落下が原因とされているが、その他にも生物絶滅はしばしば起こっている。その原因は地球磁場の逆転の間に、太陽からの有害微粒子に直撃されたためと考えられている。いま我々は地球磁場によって守られているが、いつ何時地球磁場が消えるかも知れない。そんなこと考えたって、どうにもならないよと言われるかもしれない。

しかしノー天気に「ワーイ、オーロラがでたぞ」なんて喜ぶだけでなく、我々は結構危ない所に生活しているのだという危機的な状況認識も少しは必要だろう。

戸隠山荘でのOB会

11月4日(火)
1日から3日まで戸隠の都立大山岳部の山荘に行って来ました。この山荘は戸隠高原の奥社の入り口近くにあります。昭和43年ごろに土地を購入し小屋を建てたのですが、古くなったので数年前、ログハウスに建て替えました。資金はOBのカンパ、ログキットの組み立ては若手OBの労働力で、見事に完成し、くみ取りのトイレから水洗の快適な住まいになりました。

 例年11月の初めの連休はここに古手のOB連が集まります。今回17人いたのに私が最年少でした。今年は百名山を完登した平井OBの報告でした。パソコンを駆使した映像は、とてもそんじょそこらの人ではマネのできない作品になっていました。

 日曜日は快晴で、戸隠高妻山、瑪瑙、飯縄山へとそれぞれ出ていきました。私は運転手で、後から来るOBのお迎え係。スキー場の上まで行っただけで、小屋で待機。電話が来ると戸隠中社までお迎え。それでも右手のような雪の白馬三山方面を見ることができました。

 元気いっぱいの古手OBは夜が更けても、昔ながらの埒もない議論をグダグダと続けていました。バカバカしいのだけどこれがいいのです。翌日は頭の中もすっきり、家の中も掃除をしてそれぞれいつもの日常にもどりました。鈴木OBだけは5日からヒマラヤに写真を撮りに行くと言って、さらに日常を脱出していきました。

神の手! 文寿整骨院

10月30日(木)

今月の最初からテニスで腕の腱を痛めていました。そのうちに治るだろうと思っていたのですが、なかなか痛みはひきません。パソコンのキーボードを叩くのが苦痛になっていました。

25日土曜日、前に書いたとおり奥多摩耐久レースの途中でバランスを崩して、岩の斜面で滑り落ち、腰と右腕を打ちました。第一関門ではかなり腫れていたので、止めようかと思ったのですが中山さんが見ていたので、しかたなくリタイヤせずに先に進みました。
 家に帰って、一寝入りしてからみると、かなり広い範囲に内出血して、黒いアザになっていました。それを見たとたん痛みが増してきました。それと、前から痛かった腕の腱の痛みが相まって、とうとう腕が上がらなくなりました。

 しかし私には、困った時の「神の手」があります。片手で自転車を操って「文寿整骨院」に向かいました。ちょうど院長先生の手が空いていたので、特別治療をしてもらいました。マッサージと電気針でたっぷり1時間、身体中の筋肉がほぐれてきました。打撲の痛みと腱の痛みがほとんど消えて、両腕で自転車のハンドルを握って帰ることができました。

 夜は久しぶりにパソコンに向かってキーボードを叩けるようになりました。めでたしめでたし!

明日から戸隠の山小屋に行って来ます。昨年はこの時期に30センチもの雪が降りました。今年は暖かいので大丈夫でしょう。

奥多摩耐久レース ハセツネ杯

2003年10月27日 (月)

奥多摩耐久レースが土曜日から日曜日にかけてに行われました。その報告です。

写真ページも作りました。

 25日午後1時、72kmの奥多摩の山道を走るレースがスタートしました。今年はアメリカからのプロ選手が2人招待されており、7時間台の記録が出るのではないかと期待されています。普通の人は24時間以内での完走が目標です。途中に大きな山(三頭山、御前山、大岳山、御岳山)がいくつもあり、小さなピークは数知れずあるので、走ると言っても、早足で行くのがやっとというコースです。私は今回で9回目ですが、いつも走りながら、何でこんなことやっているのだろう。来年は絶対に来ないぞと思っています。

 地平線会議の仲間の江本さんと、由美ちゃんは、スタート5分前になって、やっとグランドに姿を現しました。どこにいるかと探していたのに。私は昔の生徒高橋くんがいて話をしていました。彼は早稲田の箱根駅伝の選手でした。いまはあまりやっていないようですが、一緒に来た市岡くんは総合3位になっていました。彼は大岳山で電気が切れて、明け方まで寒さに震えていたといいます。名前が岳大(たけひろ)なので、縁が深かったのでしょう。

 私は、珍しく、後方から出ていったので、今熊山の登りや、入山峠の階段で結構待ち合わせ時間がかかりました。遅れを取り戻すべく、急ぎで下ったら、岩の上で滑って、腰と腕を打ちました。腕は10㎝ほどの擦過傷で、かなりひどく腫れました。このショックで、第一関門で止める決心をしました。江本さんの「三輪さんは、気まぐれで、リタイヤ」の予想が本当になるところでした。そうきめたら気分が楽になり、景色を眺める余裕が出ました。三国峠ではすばらしい夕焼けが見え、富士山のシルエットがみごとでした。

 ふだんよりも1時間近く遅く第一関門の浅間峠に着きました。ここで荷物を下ろし、おにぎりを食べて、下ろうとしていたら、鉄人中山さんがボランティアをやっており、なんとなく行かなければいけない雰囲気になってしまいました。腕は思ったよりも腫れてきたので、中山さんに「止める理由があるよね」と言ったら、「大丈夫ですよ」 あんまり同情心がありません。

 馬杉さんと一緒だったので、ここで止めたらかっこ悪いと思い直し、腰を上げました。浅間峠に着くだいぶ前に藤岡くんがニヤッと笑って抜いていきました。先週彼の強靱な走りを見て、もう私の時代ではないと感じていました。高橋くんには「8時頃には三頭山につきたいなあ!」と言いましたが、やっと9時に到着。馬杉さんは「登りがつらい」といいながらどんどん行ってしまいます。頂上では彼女の姿は見えません。大福を半分だけ食べただけで、寒いので下りにかかりました。今年はストックを持っているので、下りは快調。

 第2関門は月夜見峠。昼間は奥多摩有料道路を紅葉見物の車が通るが、夜は通行止めになっているので静かなもの。10時24分。ここで水を1.5リットル補給してくれる。今年は涼しいので、最初に持ってきた2.5リットルの水は減っていない。おにぎりを食べていると先に行ったはずの馬杉さんがやってくる。どこで追い越したのか不明。たぶん鞘口峠への下りだろう。15分休んで、10時40分に出発。

 ここからしばらく一緒に行くが、御前山の登りでまたおいて行かれる。この登りは、疲れのピークになっているので大変つらい。カタクリの花畑の柵を数えながら、ヨタヨタ登る。小河内峠がほぼ1000m、御前山が1400mだから、結構きつい。風が強くなり、雨がポツポツきた。ダダ広い頂上には誰もいない。ベンチがあるが、寒いので先を急ぐ。11時50分。

 ここから大ダワへの下りは急坂だ。ストックが威力を発揮する。年をとると目が悪くなる。暗いと地面がはっきり分からない。ストックで確かめながら行くので昔のように駆け下ることができない。このあたりで前後左右にまったく光がなくなった。私を置いてみんなレースを中止したのではないかと不安になる。前にライトの光が見えたときにはホッとする。くだりで馬杉さんに追いつく。大ダワは大きな峠という意味。ダワダワの語源は何かなどと考える。休まず、大岳山に向かう。

 大ダワは1100m、大岳山は1266mだから御前山より登りは楽だが、直前に岩山があり、腕と足を使って登る。またもや馬杉さんは見えなくなる。1時45分に頂上。町の灯りが美しく見える。いつもは夜中に明るい光がムダに使われていると憤慨しているのだが、きらきら光る夜景はなかなか見事だ。大岳山の岩の上で、大福の残りを食べる。口の中に甘さを残し、少しずつ楽しみながら、大岳神社への滑りやすい急な下りをおりる。昨年は湧き水が出ていたが、今年は崖崩れで埋まっていた。

 昔の軌道跡にでると、道がよくなり快調に走ることができる。一気に御岳山の水場に着くが、ここも水量が少ない。腹一杯に飲んで、ぽちゃぽちゃ言わせながら第3関門に急ぐ。このあたりまで来ると、もうゴールは確信できる。いつもは時間を気にしているのだが、今年は「まあ、いいかっ」って気持ちが強いので、全然気にならない。あとでこのレースの記録を見ると、馬杉さんと数秒の差だった。

 このレースは、靴にチップを付けて記録しており、関門通過の時間がリアルタイムでインターネットで見ることができる。我が家の奥さんも、私が何時に第3関門を通過したかがわかるのだ。例年は第3関門から2時間15分ほどで、ゴールする。通過が2時36分だったから、おそらく4時50分と予想を立てる。

 御岳の山上集落をとおり、日の出山の登りにかかる。これが最後の登りなのだが、疲れた身体にはものすごくきつい。ここで電池がきえた。頭につけたのとベルトにつけてのが、両方一度に消えたので、電池替えに少々手間取った。こんなこともあるかと予備の小さな電気を持っていたのだが、暗闇の中でリックに入れたその小さな電気を見つけるのがめんどうだったからだ。予備電気はすぐに取り出せる所につけておくべきだった。

 この間に再び馬杉さんに会う。第3関門で休んでいる彼女を追い越したらしい。日の出山手前のトイレは満艦飾で、一体なにかと思う。頂上からの東京の夜景はものすごい。この時間でも高速道路の明かりが光の帯を作っている。空には星が見えている。足元ばかり見ていたので、クビを上げると腰も痛い。

 最後の急な下りにかかる。最後といってもここから11キロもある。木の根が出ているので、気をつけて走らなければならない。今回はそんな危険を冒したくないので、のんびりと歩く。走って追い越していく人がいる。「しっかり頑張ってね」という余裕がある。江本さんが「今年は大人の走りをした」と後で言っていたが、私も円熟のレースをしていた。

 いつもならあと5キロという表示があるのだが、今年はなかなか出てこない。やっと出てきた時には、4時30分。あと50分はかかる計算だ。第3関門での予想を大幅にオーバーするなあと思っていたら、コース案内の方があと2キロですと言う。「あれれ!それなら5時前にゴールだ」 昨年とコースが違って、神社の鳥居をくぐる。今までのコースならどれぐらいかかるのか予測がつくのだが、少々不安だったが、見慣れた町並みに出て、一安心。

 4時53分にゴール。第3関門での予想の通りだった。馬杉さんはだいぶ前にゴールしたのだが寒いのに律儀に待っていてくれた。前にいるはずの藤岡くんはまだ着いていないようだった。江本さん由美ちゃん組は2時頃、第2関門を通過したとの情報があった。誰もいない山の中にいても、居所が把握されているなんて・・・・・。
第1関門ではほとんどリタイヤのはずだったが、なんとか完走。こんなきついことは、もうやりたくない。といいながら、来年もきっとここにいるのだろう。

子猫がやって来た!

フクちゃんだがみんなはミャーと呼ぶ
10月16日(木)
 これは前橋の小林さんのお宅からから我が家に養女としてやってきたネコです。生まれたのは1ヶ月前です。3匹姉妹のなかで一番器量よしだったのですが、なぜかもらわれたのは最後でした。我が家としては残り物には福! ということでフクちゃんという名前になっています。でもみんなはミャーと呼んでいます。トイレは自分でちゃんとやりますし、夜は自分のベッドで一人で寝ます。お利口ネコです。

 写真では見えないのですが両手、両足の先だけが白い毛で、かわいい靴下を履いているようです。ネコの手というのはほんとうに柔らかいのです。ここをさわってやるとネコは気持ちよさそうに眠ってしまいます。でも目を覚ますと元気よく部屋中を飛び回っています。木の床なので急ブレーキが利かず、ガラス戸にぶつかったりしています。お母さんの膝が大好きで、暴れ回った後は、そこで昼寝をしています。しばらくの間、我が家はこのネコを中心に動くことになりそうです。