【🐶全国狛犬100選🦁】015

秋田1 十和田南駅の前の稲荷神社の錦木塚と狛犬

  世界遺産になった大湯の環状列石を見るため花輪線に乗って十和田南駅についた。先頭に乗っていたが駅の先には線路がない。ここが終着駅なのか?と思った。

   駅を降りて環状列石を見に行こうと思ったがバスもタクシーもいない。昔だったら歩くのだが奥様が居るので、交通手段を探すために大きな道路に出た。そこに稲荷神社があり、狛犬が居た。環状列石よりもまず狛犬見物だ。

  この狛犬は岡崎型と言われ、愛知県の岡崎でとれる花崗岩で作られている。岡崎では「ひな形」が作られ、それに合わせて大量に生産した。今は日本中の神社にこの形のものがあるが、各地方によって少し違いがある。ここのものは唇が赤く塗られ犬歯が白く強調されている。見慣れている狛犬だが、こんな遠方にまでよく来たな!と褒めてやりたい感じだった。

  この神社は公園の中にある。公園には「錦木塚」という石柱が立っていた。これを見た奥様は急に元気になって、錦木についての説明文を読んで私に説明してくれた。「錦木」というお能の演目があるそうだ。私は古典芸能には全く理解がない。

  ううーん、今の時代では全く考えられない。ダメもとで直接告白すればいいのに。錦木を三年間も立て続けても気が付かなければなんに意味もない。などなど思うが、お能にはそんなのがいくつもあるのだそうだ。

  やっとタクシーを見つけて世界遺産の環状列石を見たが、それほど感激しないまま十和田駅に戻り列車に乗った。この駅はスイッチバック方式で、来た時とは逆に進み大館に向かった。私たちはもう一つの環状列石がある伊勢堂岱遺跡に向かった。

【🐶全国狛犬100選🦁】016

秋田2 旧秋田城の鎮守 古四王神社の狛犬

  秋田は古代には 「齶田(あぎた)」と呼ばれた。 この地に天平宝字5(761)年最北の古代城として出羽の柵が設置され、出羽国の国府がおかれた。しかし蝦夷の国への最前線で攻防があったので国司が赴任することはなかった。現在の秋田氏とは離れているが発掘によって出羽の柵のちに秋田城の跡が確認されている。

  旧秋田城は高清水の岡の上にあり、入口「古四王神社」がある。古四王は「巨四王」とか「胡四王」「越王」などと書かれる。古四王神社は北陸から北の日本海側に数多く存在している。北を目指した武将たちが勝利を願ってつくったのだろうが、祀られる神はなにかよくわかっていない。

   文久4年(1864)生まれの目が丸く鼻の高い狛犬。 口蓋は波打ち、尾は団扇状で、そんきょの浪花型の狛犬の影響が見られるが、秋田型狛犬である。

  最初の石段を上がると右手に田村堂が見える。征夷大将軍坂上田村麻呂をまつるお堂である。わが奥さんは旧姓田村なので大いに喜んでいる。その前に上の狛犬がいる。最初のものと同じくそんきょの浪花型の狛犬だ。阿形は玉持ち、吽形は子持ちである。

  文久元年(1861)生まれの上向き潰れ顔の典型的秋田狛犬。 鋭い目つきで力強く、鬣は長く背に垂らし、尾は背中に張り付いている。 上腕には筋肉が隆々している様子がわかる。3体とも立派なこまいぬである。 石工・倉田 仁兵衛 

   旧秋田城の発掘が進み、資料館も作られている。復活された建物の中で一番の見どころが上の写真の水洗便所だ。化石化した便の中から大陸起源の回虫などが見つかったそうだ。渤海国などと交流があったことがわかる資料である。

 もう一つ追加、菅江 真澄(すがえ ますみ、1754年 -1829年)は、江戸時代後期の旅行家。彼の墓がこの神社のすぐ近くにある。

  

【🐶全国狛犬100選🦁】014

宮城3 蔵王刈田峰神社の三種類の狛犬

  蔵王刈田嶺神社は蔵王山頂に奥宮があるが、遠苅田温泉にも里宮がある。里宮の拝殿前には3対の狛犬が並んでいる。蔵王町観光協会はこれら三種類の狛犬の解説をしている。それに沿ってみて見よう。

 一番奥、拝殿のすぐ前にいるのがこのこまいぬである。狛犬とはいうもののまるでカエルだ。この形の狛犬はまだモデルもない時代に石工の想像によってつくられたもので「はじめ狛犬」と言われている。狛犬は江戸時代の初期まで宮中の建物の中に置かれたもくぞうの小さなものだった。しかし力をつけてきた商人などが地元の石工に狛犬を作られせて神社などに奉納した。石工も依頼人も狛犬を見たことがなかったのでこんな形になったのではないか。

  二番目の狛犬は胸の筋肉が隆々としている。なんかとても威張っているようなので、私は威張り狛犬と言っているが通常は護国系の神社に入りために「護国型」などと呼ばれている。有名なのは靖国神社にいるのがそれである。

   一番手前にいるのが尻尾を高く掲げた狛犬で、出雲に多い形なので出雲構え型と言う。私は出雲威嚇型と呼んでいる。

   この写真が蔵王刈田嶺神社の里宮の拝殿で3対の異種の狛犬が居る 。蔵王スキー場は山形側にあるので、蔵王と言えば山形と私も思っていた。しかし吉野山から蔵王権現を勧請したのは火口湖の御釜の脇にある宮城県側の刈田岳である。蔵王山の名前を持つ山はなく刈田岳も蔵王連峰の一つである。明治時代以降刈田岳にあった社は「刈田嶺神社」となり、その後、遠刈田温泉におりてきて里宮となっている。

  狛犬学習にはいい教材だが、なぜここに集まっているのかわからない。しかし前回の塩竈神社の多数の狛犬のように、宮城県の大きな神社には複数の狛犬が奉納されて居る。おそらく海運などで潤った商人が大勢いたためではないだろうか。