四国遍路歩き旅 第10回、11回(最終回)

2015年から始めた四国遍路歩き旅、2018年10月にやっと88番大窪寺までたどり着きました。2人とも2016年は体調不良で入院したりして1年2か月も空白になりました。その後の体調はどんどん低下して2018年度はもうムリかなという感じでしたが、1回の日数を減らしたり、途中列車に乗ったりして何とかたどり着くことができました。お大師様のおかげです。ありがとうございました。
この後は高野山に行って御礼をすることになっていますが、私たちは中国西安にある青龍寺に行きました。弘法大師はそこで恵果阿闍梨から密教を授けられて日本に戻って高野山を開き真言密教を伝えたのです。ということで2018年に西安に行きました。そして2019年8月に高野山にも行ってきました。ということで一応形だけは結願になりました。

写真をクリックしてください。第10回と11回の報告を見てください。ありがとうございました。!

去年の今ごろ 行く末!


19日から毎日「家中登山」をやっています。10日目にして膝が傷んできたんでしばらくは登山を中止。昨年の今日は鳥海山をスキーで登っていたのだなあ。などいろいろ思い出にふけっています。

4月も間もなく終わります。新型コロナの感染者数を見ると昨日は39人極めて少なくなってきたようです。日曜日は検査が少ないと小池都知事も言っているのであまり信用していませんが、少なくなっていることは確かなようです。しかし勘ぐれば、5月6日に非常事態宣言の終了するための準備かなと思っています。

私自身はもし自分が感染した時に皆さんに迷惑をかけないように自分の行動を4月1日から細かくメモしています。さらに食事と関係があるかもしれないので3食全部記録もしています。買って来たものでは検証できないので3食全部奥さんの手作り。奥さんはご飯ぐらい作らなけりゃボケてしまう。と言って毎日つくってくれます。メモを見返してみると、4月1日以来だれ一人会っていません。ラインとzoom飲み会を一回やりましたが、年寄りには面白くもない。(呼んでくれたみなさんゴメン!)

毎日5時50分に起きて、奥さんが勉強しているNHKの英語講座の録音をしています。7時から朝ごはんの準備手伝い。8時からNHKテレビで朝ドラをみてその後羽鳥慎一モーニングショーを毎日見ています。岡田晴恵先生の解説が専門委員の解説よりもはるかに的確で信用ができます。コメンテーターの玉川さんはよく勉強しているので安心できます。しかし政府は名指してコロナをあおるなと圧力をかけているようです。

最初のコロナ対策がマスク2枚、それもまだ来ない政府の政策よりもはるかにましです。非常事態宣言を厳格にすると、報道もワンチームでということになりそうです。そうなったら全部だめ政府の大本営発表と同じになる。これは怖いことだ。いまわれわれの目と足はテレビにゆだねられているのでがんばって真相を報道し続けてほしい。

テレビを見ているうちに昼になるが、その前に私は昔の四国遍路の報告書を手直ししてブログにアップを始めた。最初に作った時にはまだ不慣れで、形が崩れたりリンクが途切れていたりで見にくかったが、改めて直している。これが結構手間がかかる。例えば写真リンクが jpg か JPG かでまったくつながらなくなる。膨大な写真の中でどこが違っているか見つけるのはけっこう大変で、すぐに1時間ぐらい過ぎる。でもいまはいくらでも時間はあるので、これはけっこう楽しい。

お昼を食べて午後のメインの仕事は家中登山、毎日50往復をしている。これに1時間はかかる。しかし1往復で54歩なので54歩×50=2700歩 にしかならない。これまで外で散歩していたころは1時間で8000歩ぐらいは行った。歩数が足りないと寂しいので午後のテレビを見ながら もも上げをして歩数を稼いでいる。しかしこれでもせいぜい1000歩ぐらい。階段登山の途中の踊り場でぶらぶらすることを加えて現在は1日5000歩になるようにしている。

風呂に入って汗を流して夕食。食べた後は食器洗いをすると後はやることはない。奥さんは基礎英語、謡の稽古などやることが多いが、私はテレビを見ながら「まだマスクも来ないじゃないか!」テレビに向かって悪態をついている。しゃべる人が奥さんしかいないのだからこれぐらい許して!独り者はいったいどうしているのだろうか。連休が始まって人々が自粛するように言っているが、5月7日から本堂に学校など始まるのだろうか。店もあくのだろうか。もしさらに延長ということなったら、子どもたちはどうなるのだろう。自粛の店はつぶれるだろう。学校だけは再開しないといけないのではないか。

第2波、3波が来ると言って自粛していたらいつまでたって自粛解除にはならない。多少のリスクがあってももう再開した方が、人々の命(自殺者が増える)にも日本経済にもいいことになる。詳しくはわからないがスウェーデンやニュージーランドなど人口の少ない国では緊急事態は宣言していても生活は通常通りにしている国もある。いまは世界中が実験場になっている。終息後いずれがうまくいったのか検証されるだろうが、日本政府は記録を残しているのだろうか。1年で廃棄などしないことを望む。

 

 

第9回 四国遍路 観音寺―善通寺

四国遍路歩き旅もそろそろ終盤、さいごの讃岐の国に入りました。善通寺は弘法大師のお父さんの名前をとった寺で、子どものころ弘法大師(眞魚まお)はこの辺りで遊びまわっていた。5泊6日、雨の日が多く難儀した場所でした。

65番三角寺、66番雲辺寺、67番大興寺、68番神恵院・69番観音寺、70番本山寺、71番弥谷寺、72番曼荼羅寺、73番出釈迦寺、74番甲山寺、75番善通寺、76番金倉寺、合計12札所をめぐりました

四国遍路 第8回 今治から新居浜あたり

前回松山市内の第51番石手寺で終了して松山空港から成田にもどった。LCCの航空会社だったのでJR線やバスで行くよりもはるかに安かった。今回もLCCで成田から行くはずだったが、なんと第3ターミナルへ行くのに時間がかかって乗り遅れた。LCCは遅れたチケットはパーになる。1日2便しかないので成田で7時間待ちになった。

なんとか夕方に着いたが直前予約した遍路宿は飯なし風呂なし薄汚れた部屋で前金7000円。LCCの航空券の買いなおし。5分の遅れが高くつくことになった。遅刻厳禁。いい教訓になったが、半ボケ老人は次も同じことをしそうなので、安くても飛行機を使うことはやめる。

第52番太山寺、53番圓明寺、54番延命寺、55番南光坊(大三島神社)、56番泰山寺、57番栄福寺、58番仙遊寺、59番国分寺、60番横峰寺、61番香園寺、62番宝寿寺、63番吉祥寺、64番前神寺の前まで。1回で12か所も回ったのは初めてで、めまぐるしい旅でした。

上の紅葉は第58番仙遊寺への登り道です。今回はすべて紅葉真っ盛りのすばらしい景色の旅でした。  画像をクリックしてください。

四国遍路第7回 やっと半分44番!

予定では10回で88番札所に結願(けちがん)のつもりだったが、2年たってもまだ88か所のうち44か所しか打って(巡って)いない。結願はまだだいぶ先になりそうだ。しかし松山に入ると一気に46番から51番までめぐることができた。51番石手寺が結願寺になる回り方もあるそうだ。この寺には結願して金剛杖を納める人も多くいるそうだ。四国遍路といってもいろいろな廻り方があるもんだ。今回は愛媛県の内子から2日かけて久万高原に上がり、44番大宝寺、45番岩屋寺をめぐって、三坂峠を下って46番浄瑠璃寺、47番八坂寺、48番西林寺、49番浄土寺、50番繁多寺、51番石手寺と8札所を一気に回った。JetStar で松山空港往復。これまでの遍路旅の中で交通費は一番安かった。

画像をクリックしてみてください。内子からの第7回遍路旅のページに移動します。

 

四国遍路第6回 伊予の国へ(2017年3月)


2015年3月から始めたジイさんバアさんの四国遍路、2年間経ちましたがまだ半分の44番付近に達しません。これまでママチャリを駆使しながら人力にこだわってきましたが、伊予の国(愛媛県)に入ると毎日峠越えで自転車は使えません。

自力で行くしかないのですが、体力は使い果たしているので、所々列車でトンネル越えにならざるを得なくなりました。ということで完全歩き遍路は消えましたが、1200キロの行程から言えばまだ誤差の内と強がりを言っています。しかし73歳というのはけっこうな年だということを認識しはじめました。

今回は5泊6日、高知龍馬空港で高知県入り、帰りは内子から列車に乗って松山へ、松山空港から戻りました。次回は内子まで戻り愛媛県の難所第45番岩屋寺に向かいます。もうこの日数はきつくなりました。次回からは交通費はかかるけど3泊4日ぐらいにするつもりです。

上の写真をクリックするか ここ ➡ 四国遍路第6弾

四国遍路 第5回 足摺岬へ

前回2015年9月に第36番を青龍寺を打ち終えて須崎の先の安和まで歩き、森の駅という場所に自転車を預けた。来月また来るので1か月預かってくださいと言っておいた。ところが東京に帰ってすぐに奥さんが不調でしばらく入院し、戻ってきたら今度は私が入院ということでほぼ1年間療養生活で過ごすことになった。この間お遍路のことはもうあきらめていた。自転車については手紙でしばらくいけないがよろしくと言って預かり料金を同封しておいた。

2016年夏過ぎて体調が回復してきたので再びお遍路に戻ることを考えた。10月になって手探りで復帰、決して無理をしないように難所は列車に乗ってもいいかと自分自身にい聞かせて出発した。高知往復はこれまでと違ってヒコーキを使った。その後は高知駅から土佐くろしお鉄道で往復をした。ヒコーキは楽だがその後の鉄道は本数が少ないので合わせるのに苦労をした。ということで4泊5日の旅をご覧ください。

四国遍路第4回目 高知市内

近況
19日日曜日に思い立って「家中登山」を開始した。すでに家中登山をやっている人が大勢いることを知った。彼らのHPを見ると6時間半で富士登山をなしとげて人もいる。私は今一日50回家の階段(5.4m)を登り下りするのがやっとだ。昨日からはひざが痛くなってきて、速度は遅く途中休み時間も多くなってきた。しかしチリも積もればで、まだ6日間だが1297mを登ったことになった。暇なのでどこの山と同じかと調べてみたら、群馬県の子持山が標高1296mだそうだ。子持山は群馬天文台のある山で何回も登っている。「やったぜ!」、次は東京都最高峰の雲取山を目指そう! 続きを読む

四国遍路第3回 室戸岬へ

この写真は四国室戸岬にある「みくろど」という洞窟である。この場所に座って修行をしていた眞魚(まお)は空と海を見続け悟りを開いて「空海」と名乗った。私も中に入って海を見た。なるほど空と海だけだ。「空と君との間には今日も冷たい雨が降る」あれこの歌詞は中島みゆきだ!

今回は第3回の四国遍路、前回終了した23番薬王寺から室戸岬を目指した。まず薬王寺までは東京から12人乗りのデラックスバスで阿南市まで行きそこから牟岐線で日和佐まで行った。そこから24番最御崎寺までは80キロある。途中に民家のない地区がしばらく続くので奥さんは歩けそうにもない。そこで日和佐でママチャリを買って、それに荷物を積んでいくことにした。結果としては大変良く、2泊3日で室戸岬の最御崎寺まで行くことができた。

お暇な時には見てください。 四国遍路第3回 24番最御崎寺から37番神峰寺へ

以下は我が家の最近の状況

我が家は毎日が日曜日なので、19日が日曜日とは気がつかず外に出て驚いた。近所のスーパーの前には人だかりができている。都心は人出が大いに減ったというが、周辺地域は賑わっているようだ。我が家の買い物はあきらめ大急ぎで家に戻った。年寄りは日曜日に買い物に行ってはいけない。幸い我が家には食料備蓄は1週間ほどある。

家に戻って考えた。我が家で登山をしようと!土曜日の雨の時に始めた。奥さんはスカイプを使って仕舞の稽古をしている。私は邪魔になるので家の中での登山を開始した。我が家は昔6人家族だったので3階建てである。階段の1段は20センチ、3階までは27段ある。一回登ると5.4m、10回で54m、50回で292mになる。山登りでは1時間で300m登るのが標準だから、私も頑張ってみることにした。

しかし50回自宅の階段を上がり降りするのは結構きつい。日曜日には12回上り下りしたところでダウン。疲れるよりも先にばかばかしくて飽きる。でも本日また挑戦をしてみよう。いい目標ができたので毎日登山をやろうかと思っている。新型コロナが終息するまでには富士山に登れるかも。

 

 

四国遍路歩き旅 第2回目 

 すでに作ってあるページをここにリンクするだけなので簡単なはずだが、年寄りにはいろいろわからないことがある。本日やってみて、写真をクリックするだけで四国遍路のページにリンクする方法が分かった。簡単なことだったが、そこにたどり着くまではけっこう大変だった。 続きを読む

四国遍路第1回 2015年の記録

毎日ひきこもり生活でパソコンの前に座る機会が多い。5年目に70歳を機会に四国遍路に出かけた。このページからも入れる「四国遍路」のところにその記録を入れてあったが、意外と見にくい。そこで札所ごとではなく回数と日にちごとに並べなおしてみた。このブログに1回目から順に並べてみようという計画をした。

全部を札所順に並べて置いたつもりだったが、欠けているものや写真が抜けているものも多い。私はこのページはホームページビルダーで作ってさくらインターネットのサーバーからアップしているのだが、年寄ると扱いを忘れて、リンクが切れたり写真を紛失したりするので、やり直しに手間がかかる。しかし頭の体操になるので2、3日おきにアップしていきたい。コロナ引きこもりのいい遊びにしてみよう。

まず一回目は新幹線で岡山、瀬戸大橋を渡って予讃線で坂東という駅まで行き、そこから歩き始めた。前途1200㎞、10回に分けて2年間で行く予定だった。今回は第1番霊山寺から第19番立江寺までを7日で行った記録です。合計150㎞ほどまだまだ1割ちょっとだ。前途多難。同じ時期にジャイアンツの清原選手が歩き始めていた。会うことはなかったが、毎日前後していたようだ。

四国遍路歩き旅 第一回目

下落合:薬王院の牡丹

下落合に東長谷寺と呼ばれる真言宗の薬王院がある。御留山(おとめやま)と並んで妙正寺川と神田川の作った谷の斜面にある。妙正寺川と神田川が落ち合うので「落合」という地名が付いた。御留山というのは徳川将軍の狩り場で、一般人が立ち入ることを禁止された御止場になっていた。今はこの斜面は新宿区の公園になっている。薬王院は地続きになっている。

奥さんはここ10年ほど毎年友人たちと出かけているが、今年は密集禁止なので、騒がない私を連れて行ってくれた。もちろん乗り物禁止なので歩いて行ったが、帰りは池袋のデパ地下で東上線で戻った。一か月ぶりに電車に乗ったが、すいている。一車両に20人くらい。本日の牡丹の写真を載せておきます。スーパーズームを使ったのでおしべ、めしべをアップした。おまけの一枚はシャクナゲ。ついでに阿吽の狛犬も。

春は名のみの 風の寒さや

春は名のみの 風の寒さや
谷の鶯 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず

4月11日、小池都知事は非常事態宣言の後の政府とのゴタゴタを終息させ、「都知事の権限は取締役社長かと思ったが、天の声がいろいろ聞こえて中間管理職になったと感じた」とコメントした。昔田中真紀子外務大臣が「誰かが(小泉首相?)スカートの裾を踏んでいるので前に行けない」というのと同じで、権限を与えておきながら裏からコソコソと手をまわしているのが小泉、安倍政権である。

 安倍政権は新型コロナ対策を経済対策と勘違いしている。西村経済再生相をトップに据えていることで分かる。新型コロナ対策の司令塔は厚生労働大臣のはず。いったい誰だっけ、どこへ行ってしまったのか?

小池都知事は命を守るために非常事態宣言したと言っている。安倍首相も非常事態宣言で接触を8割を減らせば命が守れると言った。しかしおひざ元の二階幹事長は「できるわけなあいだろう」という。安倍首相が「108兆円規模の財政を出動する」と言えば、麻生財務相は「政府が補償をする気はない!」という。結果として実現したのは460億円かけて各戸にマスク2枚を配るというだけ。安倍首相はまったくリーダー能力がないし、周囲からもなめている。自業自得。

みんなが懸命に働いている最中、安倍首相が自宅で犬を抱っこして、「みんな外出しないように」と呼びかける動画がNHKで流れた。今の時期外で働くのは命がけである。首相も先頭に立って命がけで働いてほしい。なのに私邸でのんびり犬と遊びながら呼びかけている。イギリスの首相はコロナにかかって入院している。ドイツのメルケル首相は自分の生い立ちを語りながら外出制限を要望している。我が首相は何を考えて、わざわざ反発を買うようなことをするのだろう。NHKも「殿ご乱心を!」「いくら何でもこれは放送できません!」と止めるのが公共放送の役目だろう。

「こんな非常時に文句ばかり言わないで政府に協力して命を守ろう」と言う。しかしリーダーが自分はぬくぬくして、「みんな頑張れ!」とはなんだ。非常時には最前線に立って引っ張って行くのがリーダーだろう。あのトランプ大統領でさえ、常にテレビに出て説明している(間違っているが)。「まともな言葉」を発しなければ、だれもついてこない。この非常時、いまの首相は信頼できない。「みんな自分で自分の命を守ろう」しかない。

政府は経済再生のためではなく、コロナ対策として各人に補償することをセットにしなければならない。「善意で自粛!」と言われても生活が成り立たなければできないだろう。ともかく早く、名目は何でもいい、国会議員の歳費を8割減らせばその資金も出るだろう。はやく支援をしなければ、新型コロナ関連死者もでてくる。

年寄りは余計なこと言わずに引っ込んでいろと言われるだろうが、国会議員が若者たち(60歳以下)を悪者にしているのを見ていられない。年金生活者や国会議員は、彼ら若者の働きによって支えられているということを改めて考えよう。彼らに「自粛して営業をしないように」というなら、年金や国会議員の歳費も減らすこととセットしなければいけない。

それにしても、鴬でさえ「時」を察知して声も立てないでいるのに、日本の首相夫妻は「時」をなにも感じていないことに寒気を覚える。まだ春は来そうにもない。

荒川:芝桜がみごと

  本日はお弁当をもって荒川を自転車で走ってきた。まずJR王子駅まで20分、そこから江北橋を渡って荒川左岸の自転車道路を堀切橋まで行った。橋の近くの桜の下でおにぎり弁当を海苔お餅を食べる。

さらに下流に行こうと思ったが風があるので、上流に向かった。江北橋まで戻ったが、気分が良いのでさらに川口方面に向かう。途中で荒川堤の桜を眺めるが、ここにはかなり大勢の人がいたので、新荒川大橋を渡って赤羽に出る。橋の途中で右手の土手にピンクのじゅうたんが見えたので行ってみる。芝桜が今は満開。係の人に聞くと例年は大混雑するそうだが、本日はごく数人。

こんな景色見なければもったいない。といっても仲間に知らせると大挙して押しかけるだろうからまずい。奥さんを誘ってみよう。でもここまで歩くのはきついかな。

板橋御嶽神社、城北公園の桜

 気分の悪いアベノマスクをテレビで見たくないので外出してきた。今日も歩いて行くことができるサクラの名所。城北公園は昔は立教グランドだった。今日はグランドも野球場、テニスコートも閉鎖になっている。周辺の石神井川は桜が今も満開。東京は3月の20日ごろに開花したのにまだ持っているのは不思議だ。毎日2万歩ぐらい歩いているので少しは体重も減ってきた。

グランドは閉鎖だが周辺のベンチ、芝生には大勢の子供連れがあふれている。子どもたちは行くところがない。ここにいれば換気はいいし、親子以外の人とは交わらない。最適なところだ。私は彼らと10以上離れて望遠レンズで撮影。「桜は来年も咲きます。お花見は来年に先延ばしして!」というけど、年寄りは来年も元気でいられるか。今年を逃すともうないかもしれない。

さらに崖の途中にある御嶽神社に行ってみる。ここには誰もいない。いつも来ているが、小さな祠に収められた古い狛犬は初めてみた。新発見だ。箱の中にいるのでうまく写真が撮れなかった。耳のピンと立っている狛犬、オオカミかな?耳が前向きの狛犬。祠の中のは狛犬はいったいなんだ??